「アーヴィング・ステットナー」の版間の差分

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1940年代後半に[[ヘンリー・ミラー]]と出会い、『[[北回帰線]]』の舞台であるパリに興味をかきたてられ、海を渡る。
1948年頃から約十二年間、たまに米国に戻ることもあったが、主としてパリで放浪生活を続けた。
1974年より、[[リトルマガジン]]『ストローカー』の編集・出版を始め、寄稿者であった[[ヘンリー・ミラー]]との親交を深める。前衛雑誌『ストローカー』はミラーが亡くなるまでの2年間半、彼がゆいいつ投稿した雑誌としても知られる。ミラーが『ストローカー』とその編集者ステットナーに宛てた書簡集(From Your Capricorn Friend)が 1984年にNew Directionsから出版されている。1997年に妻子同伴で来日してからは、晩年は主に日本で旺盛な創作活動をした。
[[ペンシルベニア州]][[ダラス]]にて没してから5年、『パラダイスの乞食たち』(Beggars in Paradise)が[[本田康典]]・三保子ステットナー訳で[[水声社]]より発売された。
数多くの詩、小説、エッセイを手がけ、精力的に自主出版を続けた。水彩画家としても活躍し、日本を始め、フランス、米国で個展を多数開催している。