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[[天平勝宝]]8年(756)、[[聖武天皇]]の77日忌にその遺品が[[東大寺]]に献納された。その献納品の目録『東大寺献物帳』の中にコショウが記載されている。当時の日本ではコショウは[[生薬]]として用いられていた。コショウはその後も断続的に輸入され、[[平安時代]]には調味料として利用されるようになった<ref>鈴木晋一 『たべもの噺』 平凡社、1986年、pp.68-69</ref>。
 
[[唐辛子]]が伝来する以前には、[[山椒]]と並ぶ香辛料として現在より多くの料理で利用されており、[[うどん]]の薬味としても用いられていた。江戸期を通じて唐船は平均して年間5.7トン<ref>時期により非常に粗密あり。参照:鈴木伸哉・南木睦彦「江戸の墓から出土したコショウ」(植生史研究14-1号p.29-33 2006.1)[http://hisbot.sakura.ne.jp/journalfiles/1401/1401_029-033.pdf]</ref>、オランダ船は1638年の記録では78トン<ref>行武和博「近世日蘭貿易の数量的取引実態」(社会経済史学72-6 2007.3)[https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/72/6/72_KJ00005698045/_pdf]。仕入価格で33150ギルダー(現代の3億6500万円程度なお現代の日本の輸入量は年8000トン程度、国際相場1トン30万~100万円程度</ref>を輸入している。現在でも[[船場汁]]、[[潮汁]]、[[沢煮椀]]などの[[吸い物]]類を中心に、薬味としてコショウを用いる[[日本料理]]は残存している。(「胡椒茶漬け」という料理があったという記録もある)。
唐辛子はその伝来当初、胡椒の亜種として「南蛮胡椒」「高麗胡椒」などと呼ばれていた。このため現在でも[[九州]]地方を中心に、唐辛子の事を「胡椒」と呼ぶ地域がある。九州北部にて製造される[[柚子胡椒]]や、[[沖縄]]の[[コーレーグス]](高麗胡椒)の原料は唐辛子である。胡椒を主に唐辛子の意で用いる地域では、''P. nigrum''は「洋胡椒」と呼んで区別することもある。