「恵王 (周)」の版間の差分

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釐王5年([[紀元前677年|前677年]])、父王が[[崩御]]し、その後を継いだ。
 
恵王元年([[紀元前676年|前676年]])に即位すると、田地で野獣を飼育するなど国人の不満を引き起こしたため、翌年([[紀元前675年|前675年]])秋、辺伯・石速・詹父・子禽・祝跪の五人の[[大夫]]は叛乱を起こし、[[燕 (春秋)|燕]]と[[衛]]の軍を招き寄せて恵王を撃った。恵王は[[温]](現在の[[河南省]][[温県]]南部)に逃れ、[[鄭]]の[[レイ公 (鄭)|厲公]]は櫟(現在の河南省[[禹州市]])で恵王を迎えた。冬、祖父・[[荘王 (周)|荘王]]の妾(姚氏)の子で、叔父の弭叔頽<ref>『[[春秋左氏伝]]』より</ref>([[姫頽]])が王に即位した。
 
恵王4年([[紀元前673年|前673年]])、鄭は遠縁の[[カク (春秋)|虢]]と協力して弭叔頽を誅殺し、恵王を復位させた。その後、鄭は恩賞として虎牢(現在の[[河南省]][[滎陽市]][[汜水鎮]])以東の地を与えられ、同様に虢に対しても領地が下賜された。
 
恵王10年([[紀元前667年|前667年]])、恵王は[[斉 (春秋)|斉]]の[[桓公 (斉)|桓公]]に[[伯爵|伯]]の位を賜う。