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'''貴族'''(きぞく)とは、特権を備えた[[名誉]]や[[称号]]を持ち、それ故に他の[[社会階級]]の人々と明確に区別された[[社会階層]]に属する集団を指す<ref name="mypedia">平凡社編『【新装新訂】マイペデイア 小百科事典』(平凡社、1995年)321頁参照。</ref>
 
その社会的特権はしばしば強大であるが、同時に[[国]]や[[地域]]により異なり、同じ国・地域であっても時代によって変遷する。また貴族階級は伝統的な概念ではあるものの、時に新たな人員を迎え入れ、常に人員は更新され続けている。
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=== ヨーロッパ ===
{{see also|パトリキ|イングランド貴族|スコットランド貴族|アイルランド貴族|連合王国貴族}}
[[ヨーロッパ大陸]]においては[[古代ギリシャ]]・[[古代ローマ]]時代から[[パトリキ]]などの[[貴族制]]が存在し、後世の貴族制度の祖型となっている<ref name="mypedia"/>。同時に両時代においては[[共和制]]が一般的な政治制度として浸透しており、帝政ローマ時代も建前上は[[共和国]]として機能していた。ローマ時代には議会である元老院において、貴族の支持を集める[[閥族派]]と、平民の支持を集める[[民衆派]]の対立が政治に大きな影響を及ぼした。
 
[[File:Battle of Barnet retouched.jpg|thumb|right|200px|[[薔薇戦争]]、[[バーネットの戦い]]]]
一部では現代まで続いているヨーロッパでの貴族制度は[[古代]]の影響を受けつつも、[[中世]]に形成された部分が大きい<ref name="mypedia"/>。特に[[封建制]]と[[専制君主]]の普及はヨーロッパ貴族の性質に大きな影響を及ぼした<ref>''Nobility and Analogous Traditional Elites'', p. 94 [http://www.tfp.org/tfp-home/books/nobility-and-analogous-traditional-elites.html TFP.org]</ref>。[[公爵]]・[[伯爵]]といった中世時代に一般化した新たな貴族称号は、当初は君主から特定地域の支配権を付与される代わりに、防衛や戦力提供の義務を負う軍務制度として設置されたものだった。制度の背景には[[古代ローマ]]時代における[[ドゥクス]]・[[コムス]]などの地方司令官職や[[恩貸地制]]、及び古代[[ゲルマニア]]における[[従士]]制度などがあった。よって当初は一代限りの任期制である場合も多かったが、集権的政府の不在によって次第に[[世襲]]化された。また、こうした戦士貴族であると同時に、家族ない し一族の者が高位の聖職を握り、聖界貴族をなした<ref>[http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/kosh/2004-01-30-2/s001/s016/pdf/article.pdf 貴族の集団形成と紛争のルール ]早川良弥、国際研究集会報告書第22集「公家と武家――その比較文明史的研究」笠谷和比古編、国際日本文化研究センター, 2004.1.30</ref>。
 
地域別に見れば[[イベリア半島]]の[[:en:Castile (historical region)|カスティーリャ]]及び[[東欧]]の[[ポーランド・リトアニア共和国|ポーランド・リトアニア]]において貴族の割合が多く、他の地域が多くて2%程度であるのに対して約10%が貴族階級で占められていた。またハンガリーでも5%程度が貴族階級であり、ヨーロッパ・キリスト教圏とは異なる異文化圏と接していた地域に顕著な現象といえる。理由としては異文化圏との戦いで軍事階級に対する需要が多く、また報酬として用意できる領地も獲得できた為であると考えられている<ref>{{Cite book
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</ref>。
 
当初は地方の領主階級であった貴族も絶対主義王政の時代には官僚化し、ブルジョワ化を遂げ、官吏や軍人の供給源となった<ref name="mypedia"/>。
[[中世後期]]から[[近世]]に[[軍事革命]]が起きると軍としての貴族制度は時代遅れとなった。[[ルネサンス|イタリア・ルネッサンス]]を迎えて商工業が成長すると経済面でも貴族の衰退は続き、次第に社会的影響力を失っていった。近代に[[産業革命]]が発生すると商工業の発展は更に続き、対照的に諸侯貴族の経済的衰退は一層に深刻さを増した。入れ替わるように都市部の商人階級が[[資本家]]として社会経済の中枢を成す立場にまでなり、貴族階級は財力のある家と婚姻を結ぶ事で家柄を維持しようとした。
 
ただし、近代以降、貴族の地位や階級は次第に[[栄誉称号]]化していった<ref name="mypedia"/>。一方で近代時点では未だ貴族の特権はその強大さを残し、影響力を社会に与え続けていた。一例を挙げれば議会制へと移行していた[[イギリス]]では民衆から選出される[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]とは別に、貴族のみで構成される[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]が存在していた。だが、それもやがて現代に近付くにつれて段階的に影響力を失い、先のイギリスの貴族院も[[:en:Reform of the House of Lords|貴族院改革法]]によって大幅に弱体化している。また[[フランス革命]]・[[ロシア革命]]といった貴族制度を否定する大動乱や、二度の[[世界大戦]]とその戦後処理も欧州での貴族制度の衰退を後押しした。現代では貴族制度を維持しているヨーロッパ諸国は(君主制国家の減少もあって)数を減らし、仮に維持されていても形骸化している場合も多い。
 
=== イスラム世界 ===
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== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2018年8月|section=1}}
* 平凡社編『【新装新訂】マイペデイア 小百科事典』(平凡社、1995年)ISBN 458209631X
* 吉村武彦「貴族とはなにか」(『古代史の基礎知識』角川選書、2005年、ISBN 4-04-703373-1)
* 宇根俊範「平安貴族」項(『日本古代史研究事典』東京堂出版、1995年、ISBN 4-490-10396-4)