「エドマンド・バーク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
出典の示されない記述を削除ほか
108行目:
米国においては、[[エドワード・コーク|コーク]]/[[ウィリアム・ブラックストン|ブラックストーン]]による「[[法の支配]]」の法哲学が、[[アレクサンダー・ハミルトン]]らによって継承されていた。バーク哲学が本格的に流入したのは、1950年の[[朝鮮戦争]]の勃発に伴って、国を挙げて反共に思想武装するためであり、[[ラッセル・カーク]]らに先導されて大ブームとなった。そして、1981年に大統領になった[[ロナルド・レーガン]]は、反共反ソであっただけでなく、米国史上初めて“バーク保守主義”を信奉する大統領であった。
 
フランスにおいては、初のバーク主義者は[[アレクシ・ド・トクヴィル|トクヴィル]]であり、その主著『アメリカのデモクラシー』(1835年 - 1840年)の主概念「多数者の専制」は、バークの概念を借用しているし、「平等」が国家社会をアナーキーに解体していき、反転して全体主義体制に至るとのトクヴィルのモチーフは『フランス革命の省察』そのものである。
 
バーク哲学が事実上まったく導入運用されなかったのは、ドイツとロシアである。