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{{保守}}
=== 骨格 ===
{{efn2|この項目の参考文献として「エドマンド・バーク著『新ホイッグ党員から旧ホイッグ党員への訴え』について」森本哲夫(九州大学大学院法学研究科Jounal of law and politics1969-02-25)[http://hdl.handle.net/2324/1583]を利用している。}}バーク保守主義はフランス革命により提示された〈[[社会契約]]〉ではなく、〈本源的契約〉を重視する。多年にわたり根本的に保持してきたものの中に〈本源的契約〉の存在を見、その表れである祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していくとする政治哲学である。この故に、自然的に発展し成長してきた目に見えぬ“法([[コモン・ロー]])”や道徳、あるいは階級や国家はもちろんの事、可視的な君主制度や貴族制度あるいは教会制度においても、ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない“'''[[イギリスの憲法|時効の慣例による憲法]]'''(prescriptive Constitution{{efn2|「規範的な、慣習的な、時効成立した、伝統に裏付けられた」「命法、憲法、基本法」のこと。「時効の憲法prescriptive Constitution」の邦訳については「金子堅太郎『政治論略』研究(日本大学精神文化研究所)六、付論・Eバークの憲法(Cinstitution)観」による。}})”があると看做す。
 
合法的な残虐を犯した元[[インド総督]]の[[弾劾]]演説(1788年)では、「国民の大半の[[利益相反|利益]]に反する法は、道理を踏まえた制度という性質を持たないから、[[権威]]を持たない。なぜなら、いかなる政体においても、真の立法者は国民であるからである。…法を究極的に基礎づけかつ動かすものは、国民の明示的ないし黙示的な[[合意]]である」として、適切かつ十分な人間の力と、国民に法的判断の権利や義務を持たせるための公正な[[憲法]]の必要性を説いた<ref>[[カール・ヨアヒム・フリードリッヒ]]『伝統と権威 権力と正当性と権威』[[三辺博之]]訳、p.p. 146。[[福村出版]]、1976年。Carl J. Friedrich, ''Tradition and Authority''. Phaidon, London, 1972.</ref>。
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文明社会が人間の知力で設計されたものでない以上、文明の政治経済社会に仮に、人間の知力や理性に基づく“設計”や“計画”が参入すれば、その破壊は不可避となり、個人の自由は圧搾され剥奪されるとする。
 
*バーク哲学の主要概念は、“慎慮”(''prudence'')、“偏見・固定観念”(''prejudice'')、“時効慣例”(''prescription'')、“仮定”(''presumption'')、“相続・世襲”(''inheritance'')、“[[法の支配]]”(''rule of Law'')、“慣習”(''convention,customs'')、“伝統”(''tradition'')、“私有財産”(''property'')などである。
 
*逆にバークが断固として拒絶した概念は、“平等”(''equality'')、“人権”(''right of man'')、“人民主権”(''popular sovereignty'')、“抽象”(''abstruction'')、“理性”(裸の理性、''naked reason'')、“進歩”(''progress'')、“革新・刷新”(''innovation'')、“民主制”(''democracy'')、“人意・人間の意向”(''will of man'')、“人間の無謬性”(''perfectibility of man'')などである。