「チョコレート」の版間の差分
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[[日本]]にチョコレートが伝わったのは[[江戸時代]]である。[[寛政]]9年(1797年)3月[[晦日]]に、[[長崎]]の[[丸山 (長崎市)|寄合町]]の大和路という遊女が、オランダ人から貰った贈り物の記録中に「しょくらあと六つ」という記載がある。これが、日本国内でチョコレートの事を記した最初の[[史料]]とされる。他にも、[[京都]]の[[蘭学]]者の廣川獬が、長崎に6年ほど遊学したときの事をまとめた「長崎聞見録(1800年、寛永12年刊行)」では、「しょくらとを」の記録がある。「しょくらとを」は、「[[紅毛|紅毛人]]の持渡る腎薬」と記されており、溶かして飲む[[薬]]として扱われていたようである。ただ、幕府が正式にチョコレートを輸入したという記録はなく、一部オランダ人が私的に[[出島]]に持ち込み、彼らと付き合いのあった人々だけが、チョコレートを知っていたようである<ref name="j01_a">{{Cite web|title=日本のチョコレート事始め |url=http://www.chocolate-cocoa.com/dictionary/history/japan/j01_a.html |accessdate=2018-11-25 | publisher=日本チョコレート・ココア協会 }}</ref>。
日本が本格的にチョコレートの事を知ったのは、[[幕末]]の頃である。[[1858年]]にヨーロッパへ派遣された[[文久遣欧使節]]がチョコレートの工場を見学している。他、幕府の命により[[フランス]]に留学していた[[徳川昭武]]は、慶應
また、記録は残っていないが、[[1613年]]、[[慶長遣欧使節]]がヨーロッパに赴いた時期は、チョコレートを飲む習慣がヨーロッパの上流階層に広がっていた時期と重なるため、これに参加していた[[支倉常長]]たちが、初めてチョコレートを口にした[[日本人]]ではないかという説もある<ref>{{Cite web |date= |url= http://www.toiho.info/outline|title=オペラ「遠い帆」 |publisher= 慶長遣欧使節出帆四百年記念事業 |accessdate=2014-06-14}}</ref><ref>{{Cite web |date= |url= http://www.chocolate-cocoa.com/dictionary/history/japan/j01_b.html |title=幕末、海外使節団・海外留学生がチョコレートの本場へ赴く |publisher= 日本チョコレート・ココア協会 |accessdate=2014-06-14}}</ref>。
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