「ホセ・アスルメンディ」の版間の差分

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アスルメンディは、[[バスク大学]]、イタリア・[[ローマ]]、イギリス・[[ミュンスター]]で[[哲学]]と[[神学]]を学んだ<ref>Preface of Gandiaga in Joxe Azurmendi: ''Hitz berdeak'', [[オニャティ]]: EFA社, 1971</ref>。
 
[[1960年代]]初頭には、文芸雑誌「[[ハキン (雑誌)|ハキン]]」周辺で起こった文化運動に参加し、ハキン誌がフランコ政権によってはじめて発行禁止処分を受けた際には、発行責任者を務めた。雑誌の復興以来、絶えず雑誌と親密な関係を築き、協力している。この雑誌では、ヨーロッパの思想家の文脈におけるバスク社会の問題点を取り上げた<ref>Sudupe, Pako: ''50eko hamarkadako euskal literatura II'', [[サン・セバスティアン]]: Utriusque Vasconiae社, 2011. p.283</ref>。[[1970年代]]初頭には、当時のバスク自治州で熱心な議論がなされていた[[独立国家]]、[[社会主義]]、[[国際主義]]などの対象に関する、バスク語による基本的な文献の普及に取り組んだ<ref>Joxe Azurmendi: ''Arana Goiri-ren pentsamendu politikoa'', [[サン・セバスティアン]]: Hordago Lur社, 1979. p.1</ref>。[[1980年代]]には現代哲学の教授として、[[バスク大学]]で教壇に立つようになった<ref>[http://www.ehu.es/ehg/literatura/idazleak/?p=195 Joxe Azurmendi] [[バスク大学]](EHU)</ref>。バスク大学が夏期セミナーを開設した際、アスルメンディは設立者のひとりとなった<ref>Andoni Olariaga: "Joxe Azurmendi. Askatasunaren pentsalaria" in Alaitz Aizpuru, ''Eukal Herriko pentsamenduaren gida'', [[ビルバオ]]: UEU社, 2012. p.147</ref>。
 
[[1984年]]には、[[モンドラゴン協同組合企業]]の創始者である[[ホセ・マリア・アリスメンディアリエタ]]に関する論文を提出し、アリスメンディアリエタの計画は[[社会主義]]とフランスの[[人格主義]]を組み合わせた組織の下、個人と社会の団結を目的としていたと主張した<ref>Andoni Olariaga: "Joxe Azurmendi. Askatasunaren pentsalaria" in Alaitz Aizpuru, ''Euskal Herriko pentsamenduaren gida'', [[ビルバオ]]: UEU社, 2012. p. 149</ref>。[[1992年]]にはクラウディオ・サンチェス=アルボルノス<small>([[:en:Claudio Sánchez-Albornoz y Menduiña|英語版]])</small>による文章への返答として、彼の代表作となる『Espainolak eta euskaldunak』(スペイン人とバスク人)を出版した<ref>Joxe Azurmendi: ''Espainolak eta euskaldunak'', [[サン・セバスティアン]]: Elkar社, 1992. p.17</ref>。この作品でアスルメンディは、スペインの知識人によるバスクについての固定観念に対して反論した。21世紀初頭には、[[2006年]]の『Espainiaren arimaz』(スペインの魂について)、[[2007年]]の『Humboldt. Hizkuntza eta pentsamendua』([[ヴィルヘルム・フォン・フンボルト|フンボルト]] 言語と思想)、[[2008年]]の『Volksgeist. Herri gogoa』(フォルクスガイスト 民族精神)からなる三部作を出版した。[[2010年]]には[[エウスカルツァインディア]](バスク語アカデミー)から名誉研究員の称号を授与された<ref>[http://www.euskaltzaindia.net/index.php?option=com_content&view=article&id=56&Itemid=404&lang=eu Joxe Azurmendi] [[エウスカルツァインディア]]</ref>。
 
== 作風 ==
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