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{{Otheruses|行政区画の一種|漢数字の代用字|大字 (数字)|契丹文字の一種である契丹大字|契丹文字}}
'''大字'''(おおあざ)は、[[市町村]]内の行政区画である[[ (曖昧さ回避)|字]](あざ)の一種である。基本的には[[1889年]]([[明治]]22年)に公布された[[市制]]および[[町村制]]の施行時に従前の村名・町名を残したものである<ref name="nrc">藤岡謙二郎・山崎謹哉・足利健亮『日本歴史地名辞典 新装版』[[1991年]]([[平成]]3年)1月、柏書房、pp.8-9。</ref><ref name="kokushi">『国史大辞典 第一巻』吉川弘文館、[[1979年]]([[昭和]]54年)3月、p.117。</ref>が、市制・町村制施行後の分離・埋立等によって新設された大字も多数存在する。この大字と区別して、[[江戸時代|江戸期]]からの[[村]](藩政村)の下にあった区画単位である字を[[小字]]とも言うようになった。字は概して、「[[紀尾井町]]」などの市区町村の下にある「町」と同一視されることが多いと言える。町名と区別される理由は以下の歴史的経緯などによる。
 
== 大字の成立 ==
字の起源は、[[日本]]の近世の[[村]]の下にあった小さな区画単位であり、『[[地方凡例録]]』によれば[[田んぼ|田]][[畑]]・[[山林]]などの土地の小名を字・名所・下げ名などと呼称するとされるが、その起源は明らかにされていない<ref name="kokushi" />。この「字」は現在の小字にあたるものである。[[平安時代]]以降の荘園文書などに字の名は見られ、[[太閤検地]]以降はこの字に制度的意義が持たせられた<ref name="kokushi" />。字は一筆毎に[[字付帳]]に記載され、村の名寄帳にも記載された<ref name="kokushi" />。この村は[[江戸時代]]にも引き継がれ、[[1873年]](明治6年)の地租改正の際に作られた[[字限図]]を元にしてつくられた[[村限図]]においても、この[[藩政村]]が単位になっている<ref name="nrc" />。
 
大字はこの藩政村あるいは町の名を、1889年(明治22年)に施行された[[市制]]・[[町村制]](い施行に際して行ゆるれた[[日本の市町村の廃置分合#明治の大合併|明治の大市町村合併]])施行に際して行われた[[日本の市町村の廃置分合#明治の大合併|市町村明治の大合併]]の時に残したものである。例えばA村が他の村と合併して新たにB村となったとき、新たな住所表記を「B村大字A」とし、これは町の合併であっても同様である<ref>神奈川県では、[[1889年]]([[明治]]22年)[[3月15日]]付けの神奈川県訓令甲天第13号「町村區域更定ニ付舊町村名ハ大字トシ存置ノ件」にてこの旨定められた。</ref>。ただし、明治初年から町村制施行に至るまでの間にそれまであった藩政村の合併・分村もあったため例外もある<ref name="nrc" />。
 
東京周辺においては、1889年(明治22年)、[[東京15区]]を以って[[東京市]]が発足する際に、区部と郡部の境界域では一部区域の変更が行われているが、この時に区部から郡部へ移行した[[町丁]]はその町丁単独で一つの大字とされた。また、[[関東大震災]]以降市街化が急速に進んだ東京市に近接する町村の多くは、昭和初期には旧来の大字を廃して新たな大字(見かけ上は町丁的な名称)が設定されている。これらの大字は[[1932年]]([[昭和]]7年)、東京市の市域拡張の際に、名称そのままに東京市の町丁となった。
 
日本の地域構造における[[共同体]]的[[地縁]]結合は中世末から[[江戸時代]]を経て近代に至る長い伝統を持つ村落共同体を単位としていることが多く、これを引き継ぐ大字は今日でも[[自治会]](地区会・[[町内会]])や[[消防団]]の地域分団の編成単位となっており郷土意識の末端単位としての意味は今日も失われていない。
 
== 大字の表記 ==