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{{by|1978年}}には日本記録となる通算16回目のシーズン打率3割を記録。同年[[7月24日]]、[[日本プロ野球名球会]]が設立され、規定([[昭和]]<ref>1940年=昭和15年</ref> 生まれ、通算2000本安打記録)を満たす張本も入会している。翌1979年は77試合の出場に終わり、打率.263、8本塁打と低迷し戦力構想からも外れた。
 
====オリオンズロッテ時代====
{{by|1980年}}、オーナーの[[重光武雄]]の強い誘いと3000安打達成したかった張本の意向もあり<ref>張本著、プロフェッショナル真の仕事とは何か:勝者のための鉄則55、[[日之出出版]]、2013年、P99</ref>、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ・オリオンズ]]に移籍。同年5月28日、地元[[川崎球場]]での[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]との対戦において、[[山口高志]]投手から日本プロ野球史上初となる通算3000本安打を本塁打で達成。この快挙を記念したメモリアルプレートが同球場に展示された。[[9月28日]]には川崎球場での[[ダブルヘッダー]]の第1試合、近鉄との対戦において、日本プロ野球史上3人目となる通算500号本塁打を達成した<ref>読売新聞1980年9月29日17面「張本また勲章500本塁打」読売新聞縮刷版1980年9月p1097</ref>。