「青島幸男」の版間の差分

[[早稲田大学]][[第一商学部]]に進学。22歳の時、兄の許婚者に恋をして苦しみ、ガス自殺を企てたこともあるが、部屋にガス管を引いてガスを呼吸するうちに「これなら本当に死ねる、いつでも死ねるから今夜はやめとこう」と外に飛び出した<ref>{{Cite book |和書 |author=[[植木等]] その他 |editor=植木等デラックス 編 |year=1992 |title=植木等のみなさんおそろいで |publisher=[[BMG JAPAN|ファンハウス]] |page=17 |isbn=4594009980 |ref={{SfnRef|植木等|1992}} }}</ref>。この頃、恋の苦しみから自分の髪の毛を切ったり、赤い長襦袢を着て電車に乗ったり、哲学書を読み漁ったりした<ref name="ueki">{{Harvnb|植木等|1992|p=18}}</ref>。やがて幸男の苦しみを見るに見かねた兄から許婚者を譲られ、3年後に結婚する<ref name="ueki" />。
 
学部卒業間際に[[結核]]を患ったので就職を断念して、[[1955年]]4月に[[早稲田大学大学院商学研究科]]商学専攻修士課程に進学し、療養生活を送る。当時、昔の同級生から見舞いを受けた際に就職先の自慢話を聞かされ、恨めしい思いをしたことが後に「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という歌を作る動機になった<ref>{{Harvnb|植木等|1992|p=12}}</ref>。療養中に銀座でバー「カランタス」を経営。その頃に書いた漫才台本が[[日本放送協会|NHK]]のコンクールで採用されたことをきっかけに[[放送作家]]としての活動を開始。[[1956年]]6月には大学院を中退する。
 
結核回復後は働かずに実家で過ごしていたが、[[1961年]]、東京都立第二十一中学校の同期だった<ref>{{Cite book |和書 |author=[[佐藤利明]](編著) |year=2010 |title=植木等ショー! クレージーTV大全 |publisher=[[洋泉社]] |page=189 |isbn=9784862486240}}</ref>[[すぎやまこういち]]から電話で呼び出され、[[渡辺プロダクション]]社長である[[渡辺晋]]を紹介される。