「ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ」の版間の差分

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1821年ポツダムにて生まれる。父は哲学教師、母は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[ペンシルベニア州]]の創立者[[ウィリアム・ペン]]の子孫であった。
 
[[1838年]]、[[ベルリン]]のフリードリヒ・ヴィルヘルム医学学校に入学。医学、生理学のみならず、化学や高等数学を学んだ。[[1842年]]、無脊椎動物の神経繊維と神経細胞に関する研究により、学位を取得。同年、[[軍医]]としてポツダム連隊に配属。兵舎の中に研究室を作り、実験を行った。ここでの研究が認められ、[[1849年]]、[[ケーニヒスベルク大学]]生理学教授に就任。[[1855年]][[ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン|ボン大学]]生理学教授、[[1858年]][[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]生理学教授、[[1871年]][[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]物理学教授を歴任した。[[1887年]]以降はシャルロッテンブルク国立理工学研究所の理事を兼任。
 
[[19世紀]]半ばのドイツ科学を代表する科学者として、多くの弟子を輩出した。例えば、[[ハインリヒ・ヘルツ]]はヘルムホルツの指導のもと電気力学に関する研究を行い、のちに[[電磁波]]の存在を証明した。日本人の弟子として、[[田中正平]]がいる。
 
== 業績 ==