「エドワード・S・モース」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
Kingpoundekai (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
34行目:
== 生涯 ==
[[メイン州]][[ポートランド (メイン州)|ポートランド]]に生まれた。高校は入退学を繰り返し、[[製図工]]の勤めも長続きしなかったが、13歳ごろから採集し始めた貝類の標本は、学者が見学にくるほど充実していた。[[1854年]]、18歳で博物学協会に入会し、[[1857年]]に新種の[[カタツムリ]]を協会誌上に報告した。
[[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]の『[[種の起源]]』が出版された1859年から2年余、貝類研究の縁で、[[ハーバード大学]]の[[ルイ・アガシー]]教授の学生助手を務める。アガシーの教授を受ける中で、アガシーが[[腕足類]]を[[擬軟体動物]]に分類していたのを疑問に思ったのが、腕足類研究を思い立ったきっかけであった<ref name="ishikawa">[[石川千代松]]「嗟呼モールス先生」 [[東京人類学会]]『人類学雑誌』第41巻第2号 [[1926年]]</ref>。アガシーやジェフェリーズ・ワイマン([[:en:Jefferies Wyman|Jefferies Wyman]])の講義を聴き、ワイマンの貝塚発掘にも関係した。生物学界に人脈も作った。1863年にエレン・エリザベス・オーウェン(Elen Elizabeth Owen)と結婚。
|