「桜花 (航空機)」の版間の差分

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神雷部隊司令[[岡村基春]]大佐は1948年に鉄道自殺をしている。遺書は遺しておらず動機は不明であるが、南方の202空司令時代に部下が行った捕虜虐待の証言を避けるためだったという意見や<ref>加藤浩『神雷部隊始末記』486頁</ref>、厚生省[[第二復員省]]での復員業務が一段落着くと周囲から見ても肩の荷が下りたように見えたとの事や、戦中常々「お前たちだけを行かせやしない。俺も必ず行く」と言っていた事、自ら特攻の発想を思いついた341空のあった千葉で自殺を遂げている事から、心中期するものがあったのではないかという意見もある<ref>木俣滋郎『桜花特攻隊』光人社NF文庫 P.266</ref>。また、復員局に勤務していた為、そのつてを使って鹿児島の鹿屋や、船を借りて南海の島を特攻隊員の慰霊巡りしていた事も判明している<ref>加藤浩『神雷部隊始末記』P.486</ref>。
 
設計者の[[三木忠直]]技術少佐は、戦後に鉄道技術者に転身し、[[新幹線]]の設計を行っている<ref>NHK『プロジェクトX 第7回「執念が生んだ新幹線」〜老友90歳・戦闘機が姿を変えた〜』2000年05月09日 21:15放送</ref>。桜花の設計に関与した事を後悔しており、1952年に戦後初めて、雑誌「世界の航空機」が桜花の特集記事を掲載する際に三木に証言を依頼したが「日本の技術者全体の名誉の為にも桜花は我が技術史から抹殺されるべきである」と証言を拒否していた<ref>加藤浩『神雷部隊始末記』P.487</ref>。その後、昭和30年代に世界で最初に音速を突破した航空機となった[[X-1 (航空機)|ベル X-1]]のドキュメンタリー映画を見た三木は、ベル X-1が母機[[B-29 (航空機)|B-29]]から発射される姿が桜花そのものである事に驚き、特攻機のシステムが、未知の音速突破に挑む機体のシステムの一部となったことに救われた気持ちになったと話している<ref name="jinrai_488"/>。実際にアメリカが桜花のシステムを参考にしたかは不明であるが、三木は、X‐1号の開発が始まったのは終戦直後の1946年であり、時期的に見て間違いないと判断していた。また、ベル X-1が音速を超えた飛行時のパイロット[[チャック・イェーガー]]と三木が会談した時に、イエーガーが「桜花も[[銀河(航空機)|銀河]]も、当時、世界の最高技術でした。アメリカ軍が、三木さんの技術を参考にした可能性があります」と述べたという{{refnest|文藝春秋 2010年9月特別号『特別企画「勝つ日本」40の決断 真のリーダーは、たった一人で空気を変える! 世界一安全 新幹線を生んだ特攻機「桜花」設計者の十字架』棚沢直子寄稿<ref group="注釈">棚沢直子は当時東洋大学教授で三木の娘。</ref>}}。1968年には『神雷特別攻撃隊』も出版している<ref>三木忠直・細川八朗『神雷特別攻撃隊』山王書房 1968年</ref>。
 
== 戦績 ==
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