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{{観点|section=1|date=2010年5月}}
{{main|水俣病}}
チッソの[[水俣市|水俣]]工場が触媒として使用した[[無機水銀]]の副生成物である[[メチル水銀]]を含んだ廃液を海に無処理でたれ流したため、[[水俣病]]を引き起こした。1960年代に電気化学から石油化学への転換が遅れたことに加え、[[1962年]][[7月]]から翌[[1963年]][[1月]]まで続いた[[労働争議]]の影響で製品の販路を失うなど経営状態が悪化し、[[1965年]]には[[配当|無配]]になった。水俣病裁判での敗訴後は被害者への賠償金支払い、[[石油ショック#第一次オイルショック|第一次オイルショック]]などにより経営がさらに悪化。債務超過・無配継続により[[1978年]]に上場を廃止した。その後株式は店頭管理銘柄(現在はのちに[[グリーンシート]]の「オーディナリー」区分に編入)となり、制約つきで流通していた(株式の取り扱いは[[みずほ証券]]のみが認められている。グリーンシートが廃止された2018年4月1日以後は、同社が設置する[[株主コミュニティ]]に参加することで売買できる)。同社は現在では実質上、国の管理下にある。水俣病問題は発生から数十年経過した現在でもいまだに解決を見ていない。<!--[[2006年]]には損害賠償訴訟でチッソ側が[[時効]]を主張し、非難を浴びている。(中立の観点)-->なお、水俣工場は現在もJNCの水俣製造所として操業を継続している。
 
[[日本興業銀行]]から転じた[[江頭豊]]が[[1964年]]から[[1971年]]にチッソ社長、1971年以後は同会長、同相談役を務めた。社長時代には一旦謝罪したが、その後被害者と対峙するようになり、水俣病被害者との話し合いは進まなかった。現在でも[[鹿児島県]]と[[熊本県]]には6000人以上の水俣病認定申請者がいる。