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<small>[[アイガー]]東山稜の初登山者。</small>]]
 
'''登山'''(とざん)とは、[[山]]に登ること<ref name="コトバンク-登山">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E7%99%BB%E5%B1%B1-105083 |title=登山(とざん)とは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>
 
古くから人が[[宗教]]的な意味を込めて山に登ったり、[[旅]]や[[移住]]、[[狩猟]]、[[戦争]]など何らかの必要性から山を越えたりすることはあった。現代の多くでは登山自体が目的となった[[レクリエーション]]や[[スポーツ]]として、広範な人々に親しまれている。人跡希な高山や深山への登頂では学術調査や[[探検]]を兼ねることも多いほか、[[職業]]として登山を行う人も生まれている。
 
西欧語の ''{{Lang-en-short|alpinism''}}([[アルピニズム]]) は広義には登山全体を指すが、特に'''近代登山'''と訳されその[[思想]]を指す<ref name="コトバンク-アルピニズム">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-428615 |title=アルピニズムとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。[[#近代登山の始まり|18世紀後半]]を始まりとすが、これ近代登山山に登ること自体に喜びを見出し、登山が[[精神]]や[[体|肉体]]に与えるものを重視し、[[人生]]のうるおいとすることを目的とする{{sfn|平凡社|2011|p=265}}<ref name="コトバンク-アルピニズム" />。登るという行為以外に目的がない点で近代登山は[[スポーツ]]の一種であり、この点において[[宗教]]的な登山{{efn2|[[モーセ]]は[[シナイ山]]で[[ヤハウェ|神]]から[[啓示十戒]]を受け授かり、神との契約関係に入ったとされる{{sfn|平凡社|2011|p=265}}<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB-142410 |title=モーセとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。}}や[[戦争]]、[[狩猟]]、[[測量]]などのための登山と異なっている{{sfn|平凡社|2011|p=265}}<ref name="コトバンク-アルピニズム" />。現代的な意味での登山の対象は、簡単に登ることができる近隣の[[丘陵]]から[[ヒマラヤ山脈]]まで様々である。
 
== 歴史 ==
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=== ヨーロッパ ===
==== 中世以前 ====
[[ファイル:Hannibal3.jpg|thumb|right|180px|[[アルプス山脈]]を越えるハンニバルの軍]]
[[紀元前218年|前218年]]、[[ハンニバル]]は[[第二次ポエニ戦争]]において、6万人の兵と37頭の[[ゾウ]]とともにピレネーや[[アルプス山脈|アルプスの山脈]]を越えたとされている{{sfn|平凡社|2011|p=265}}。
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[[125年]]にローマ帝国の[[ハドリアヌス]]帝は[[日の出|朝日]]を見るために[[エトナ火山]]に登った<ref>[[ローマ皇帝群像|ヒストリア・アウグスタ]] ハドリアヌス 13。</ref>。
 
==== ルネサンス期から18世紀前半 ====
[[1336年]]、[[イタリア]]の[[詩人]][[ペトラルカ]]が[[フランス]]の[[アヴィニョン|アビニョン]]近郊の[[モン・ヴァントゥ|モンバントゥー]]に登ったとされる{{sfn|平凡社|2011|p=265}}<ref name="コトバンク-登山" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。これが、山頂からの眺望を得るために登山をした最初の記録とされる<ref name="コトバンク-登山" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。{{要出典範囲|その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは「登山の父」と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家の[[ヤーコプ・ブルクハルト]]の『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。|date=2018年12月21日 (金) 07:55 (UTC)|title=}}
 
{{要出典範囲|[[ルネサンス]]の始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王[[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]が[[1492年]]に{{仮リンク|エギーユ山|fr|Mont Aiguille}}<!--もしくはエギュイーユ-->の登頂を命じたのは、この範疇に入る。[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]はヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。[[16世紀]]には[[スイス]]の[[チューリッヒ]]を中心に登山を賞賛する動きがあり、[[コンラート・ゲスナー|コンラッド・ゲスナー]]と{{仮リンク|ジョシアス・シムラー|en|Josias Simmler}}が度々登山を行っていたことが記録されている。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。[[17世紀]]のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。|date=2018年12月21日 (金) 07:55 (UTC)|title=}}
 
==== 近代登山の始まり ====
[[ファイル:00 Chamonix-Mont-Blanc - M G Paccard.jpg|thumb|200px|モンブランを見つめる[[:en:Michel-Gabriel Paccard|M.G.パカール]]の像]]
[[ファイル:Chamonix 2007 100 0022.JPG|thumb|140px|[[:en:Jacques Balmat|J.バルマ]]と[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール|H.B.deソシュール]]の像]]
[[ファイル:アンナプルナⅢ、マチャプチャレ1.jpg|thumb|230px|登山のメッカ、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]連峰の[[アンナプルナ]]III峰]]
18世紀後半、アルプス最高峰の[[モンブラン]]登頂が達成されたことが、[[近代]]的登山(近代登山、スポーツとしての登山<ref name="コトバンク-登山" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />)の幕開けとなった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref name="コトバンク-登山" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。1760年、[[自然科学]]者[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール]]が[[シャモニー=モン=ブラン|シャモニー]]を訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年に{{仮リンク|ミシェル・ガブリエル・パカール|en|Michel-Gabriel Paccard}}および{{仮リンク|ジャック・バルマ|en|Jacques Balmat}}が登頂に成功した{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref name="コトバンク-登山" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />{{efn2|翌年にはソシュール自身も登頂に成功した{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。}}。
 
==== アルプス黄金時代 ====
[[19世紀]]に入って、[[アルプス山脈|ヨーロッパ・アルプス]]の登山は盛んになった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。特に[[イギリス]]人によって'''アルプス黄金時代'''がもたらされ、登山技術の面でも急激な進歩があった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。[[マッターホルン]](4,477m)は従来、登ることが不可能と見なされていたが、1865年7月14日に[[エドワード・ウィンパー]]が登頂に成功した{{sfn|平凡社|2011|p=266}}{{sfn|堀田|1990|pp=10-18}}。1857年には世界で最初の登山団体となる[[英国山岳会|イギリス山岳会]]が設立された{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。1854年の{{仮リンク|ヴェッターホルン|en|Wetterhorn}}初登頂から1865年のマッターホルン初登頂までをアルプス黄金時代と呼ぶ{{sfn|堀田|1990|pp=10-18}}<ref name="コトバンク-登山" />。{{main|アルプス黄金時代}}
 
==== アルプス銀の時代 ====
アルプス黄金時代の間に、アルプス山脈4000m4,000m級の峰が登りつくされ未登峰がなくなると、岩壁や側稜などからの登山といったより困難なルート(バリエーションルート)からの登頂や、[[冬]]季登山、案内人を付けない登山などが行われるようになった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref name="コトバンク-アルプス">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9-28605 |title=アルプスとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。その背景には、より困難なルートからの登山を提唱した[[アルバート・フレデリック・ママリー|ママリー]](1855-1895)の思想があり、これがママリズムとして近代のアルピニズムの主な思想となった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC-1208197 |title=ママリーとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。新しい山を求めて[[コーカサス|カフカス]]、[[アンデス山脈|アンデス]]などに目が向けられ始めた{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。1865年のウィンパーによるマッターホルン登頂から、1882年の{{仮リンク|ダン・デュ・ジュアン|en|Dent_du_Géant}}初登頂までを'''アルプス銀の時代'''と呼ぶ{{sfn|堀田|1990|pp=19-26}}。{{main|アルプス銀の時代}}
 
==== 銀の時代以後 ====
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== 登山の技術 ==
もともと本来の登山は競技ではなく<ref name="sekaip" />(つまり他人と競って優劣をつけるためのものではなく)、技術の優劣を簡単に言えつけものでことなく難しいとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。また、同一の山、同一コースであっても、自然条件が異なればその難易度がまったく異なる性質を持{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。従って、広意味においての登山技術とは、十分な準備と訓練をふまえて行動計画を立案することと、自然と人間の力関係を判断していくことが基本であり、登攀・歩行・生活などの具体的な技術は2次的なものであ<ref name{{sfn|平凡社|2011|p="sekaip" />267}}
 
よって登山技術というのは、広い意味で言えば、十分な準備をすること、十分な訓練をすること、そのうえで行動計画を立案し、自然と人間の力関係を慎重に判断してゆくことが基本であり重要な点であり、登攀・歩行などの個々の技というのはむしろ2次的なものである<ref name="sekaip" />。すなわち「いかに遭難を避けるか」がスポーツとしての登山の最重要点であり、以下の「計画」「歩行」「装備」もその点を最重要視して組まなければならない。
 
=== 登山計画 ===
目的の山を選び{{efn2|メンバーの体力・技術・経験からパーティの能力を考え、それに適合した山を選ぶ{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。}}、期日を決め、パーティ(隊)のリーダーを決める{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。さらに、予算、各自の任務分担、行動予定、食料・装備などについて協議する会合をもつことにより、全ての参加者が、目的の山についての知識を得て、コースも熟知しているようになれば理想的である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
登山というのは、登山計画を立てる段階からすでに始まっているとも言える。多くの遭難事故は計画の時点ですでに遭難しているというが、地形図や経験者から難所の情報を得ること、出発直前の天気図を元に登山を中止するかどうか判断すること、によって防ぎ得た遭難事故はままある。
 
登山者が2人以上の場合には、必ずリーダーが定められる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。パーティ(グループ)が大人数の場合はサブリーダーも置き、リーダーの補助をさせる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
登山計画の立て方には様々方法があるが、その概要の一例を述べると、(1)山選び (2)期日選び (3)リーダー決定、などがある<ref name="sekaip" />。
 
登山にはトレーニングも必要である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。筋肉を強くすることよりも、耐久力をつけることと健康の堅持に重点を置くトレーニングを平素から行うべきだとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
目的とする山の選定には、参加メンバー全員の体力・技術・経験をしっかり把握し、それらを十分に考慮する必要がある<ref name="sekaip" />。体力・技術・経験以上の難度の山を選んでしまったり、強者を標準として弱者に無理を強いたりしてしまうと、事故や[[遭難]]につながる。メンバーがすでに決まっている場合は、メンバーの中の弱者に合わせて山を選定すべきである。
 
参加メンバーは登山前に何度か会合を持ったり連絡をとりあったりしつつ、(1)目的地およびコースの選定 (2)グループ(パーティ)のリーダーとメンバーの決定 (3)各自の任務分担の決定 (4)予算の決定 (5)行動予定表、装備・食糧表、参加者名簿などの文書作成作業などを行う<ref name="sekaip" />。
 
上記の過程で、メンバー全員が目的の山について充分な知識を持ち、コースを熟知しているような状態になっていることが望ましい<ref name="sekaip" /><ref group="*">リーダーのみが熟知しているだけでは事故や遭難のリスクが高まる。</ref>。
 
パーティ(グループ)が大きい場合<ref group="*">例えば4-5名程度を超えたら。どの程度の人数からサブリーダーを置くか、判断は様々。</ref>は、リーダー以外にサブリーダーも決めておき、サブリーダーにメンバー指導などの仕事を分担させ、リーダーの過負荷を回避するとよい<ref name="sekaip" />。
 
また、トレーニングも登山直前ではなく、常日頃から行われていなければならない<ref name="sekaip" />。登山のトレーニングというのは、単なる筋力トレーニングというよりも、むしろ持久力を重視したものが行われていなければならないのであり<ref name="sekaip" />、健康の維持が重視されなければならない<ref name="sekaip" />。
 
=== 歩行技術 ===
体力、山の状況、荷物の重さなどに応じて、疲労を少なくするように歩くことが重要だとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。一定の速度で、足の裏全体を使ってリズミカルに歩くことを提唱する説もある{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
登山の歩行技術というのは、ペースのとりかた、および休憩のとりかたで巧拙が決まる<ref name="sekaip" />。山での歩行というのは平地での歩行とは異なり、一定の速度・リズムを保ち、足の裏全体を使って歩く<ref name="sekaip" />。山では、(メンバー全員の身体的な能力の範囲内で、かつ)疲労の少ない一定の歩行速度を見つける必要がある<ref name="sekaip" />。(平地では、思いつきで速く歩き、無理だと気付きゆっくり歩くなど、速度をフラつかせてもさほどバテはしないが、上下動をともなう登山でそれをするとすぐにバテる)。
 
登山においては、体力(スタミナ)は遭難しかけた時に備えて極力温存しなければならない物と心得るべきであり、いかに筋力を使わずに登高するかが重要である。理想としては、歩幅は靴の長さ以下、一歩あたりの高低差は一般的な階段の半分以下にするとバテない。また、氷の上を歩いているような感覚で体重移動するとよい。
 
一般的に言えば、歩きだして最初の20分で、一度は休んで、衣服・荷物の不都合な部分(リュックの肩ひもの長さ、靴ひもの締め具合、衣服の重ね具合など)を調整・修正する<ref name="sekaip" />。その後は40-50分程度歩いては10分程度休憩する、ということの繰り返しで歩んでゆくのが一般的である。
 
一般的には、歩き始めて最初の20分で一度休憩し、身体・衣服・荷物を調整する{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。その後は40-50分ごとに10分程度の休憩をとることが普通である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。地図上で位置を確認しながら歩く{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。パーティでの歩行は、体力的な弱者を標準とする{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
グループ(パーティ)の歩行速度は当然、体力的な弱者を標準とする<ref name="sekaip" />。(強者を標準としてはならない。弱者に無理を強いることになり事故・遭難の原因になる)。脚は歩行しつつも、つねに心を働かせ、自分たちの位置を地図上で確認する<ref name="sekaip" />。たとえ気の合う仲間と一緒にいようが、山では歩きながら、はしゃいだり、ふざけたりすることは控える。(はしゃいだりふざけたりして歩行姿勢や歩行速度を乱すと事故につながる。)
リーダーなど読図の技術があるものを先頭に配置するべきだが、他にもサブリーダーなどの経験者がいるならば最後尾に配置して補佐をさせるとよい。
 
=== 極地法 ===
多数の人々の支援を受けて、ベースキャンプから順に前進キャンプを設営しつつ物資や人員を進めてゆき、各キャンプの隊員の援助のもとに、少数の隊員が頂上に到達するという登山法{{sfn|平凡社|2011|p=267}}<ref name="コトバンク-極地法">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E6%A5%B5%E5%9C%B0%E6%B3%95-479454 |title=極地法(キョクチホウ)とは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。高山や、登頂までのアプローチが長い山で用いられる<ref name="コトバンク-極地法" />。登山では1922年にイギリスの[[エベレスト]]遠征隊が初めて用いた<ref name="コトバンク-極地法" />{{efn2|極地法と反対に、少人数でメンバー交代をせず、行動開始地点から短期間で一挙に目的地に達する方法をラッシュタクティクスという<ref name="コトバンク-極地法" /><ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9-656273 |title=ラッシュタクティクスとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。}}。
ヒマラヤなどの高高度の山頂を目指す場合などでは、「[[極地法]]」と呼ばれる方法、すなわち、多数の人々の支援をうけつつ、低高度からキャンプ(テント群)を設営しそれを足がかりにさらに上方にキャンプを設営することで物資を上へ上へと運び、最後に頂上近くのキャンプから(それまで他の人々の働きのおかげで体力を温存した)数名程度の攻撃隊が頂上をきわめる、という手法がある<ref name="sekaip">『世界大百科事典』 平凡社編、vol.20、pp.266-269。徳久球雄執筆。</ref>。
 
== 登山の装備 ==
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* {{Cite book |和書 |title=峠の歴史学 古道をたずねて |date=2007-09 |author=服部英雄 |publisher=朝日新聞社 |isbn=978-4-02-259930-8 |ref={{SfnRef|服部|2007}} }}
* {{Cite book |和書|title=山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か |date=2010-01 |author=羽根田治 |series=平凡社新書 |publisher=平凡社 |isbn=978-4-582-85506-7 |ref={{SfnRef|羽根田|2010}} }}
* {{Cite book |和書 |editor=平凡社 |date=2011-06 |title=世界大百科事典 |volume=20 |edition=改訂新版 |publisher=平凡社 |isbn=9784582034004 |ref={{SfnRef|平凡社|2011}} }}(執筆者は徳久球雄)
 
== 関連文献 ==