「登山」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m モーセの一文を注釈化し移動。ほか、出典に合わせて微修正。 |
「世界大百科事典」を出典としている記述について、同書の現物に照らして修正・加筆し、脚注にsfnテンプレ使用。無出典箇所に要出典の指摘、もしくは文面の除去をした。 |
||
5行目:
<small>[[アイガー]]東山稜の初登山者。</small>]]
'''登山'''(とざん)とは、[[山]]に登ること<ref name="コトバンク-登山">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E7%99%BB%E5%B1%B1-105083 |title=登山(とざん)とは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。
古くから人が[[宗教]]的な意味を込めて山に登ったり、[[旅]]や[[移住]]、[[狩猟]]、[[戦争]]など何らかの必要性から山を越えたりすることはあった。現代の多くでは登山自体が目的となった[[レクリエーション]]や[[スポーツ]]として、広範な人々に親しまれている。人跡希な高山や深山への登頂では学術調査や[[探検]]を兼ねることも多いほか、[[職業]]として登山を行う人も生まれている。
== 歴史 ==
16行目:
=== ヨーロッパ ===
==== 中世以前 ====
[[ファイル:Hannibal3.jpg|thumb|right|180px|[[アルプス山脈]]を越えるハンニバルの軍]]
[[紀元前218年|前218年]]、[[ハンニバル]]は[[第二次ポエニ戦争]]において、6万人の兵と37頭の[[ゾウ]]とともにピレネーや[[アルプス山脈|アルプスの山脈]]を越えたとされている{{sfn|平凡社|2011|p=265}}。
21 ⟶ 22行目:
[[125年]]にローマ帝国の[[ハドリアヌス]]帝は[[日の出|朝日]]を見るために[[エトナ火山]]に登った<ref>[[ローマ皇帝群像|ヒストリア・アウグスタ]] ハドリアヌス 13。</ref>。
==== ルネサンス期から18世紀前半 ====
[[1336年]]、[[イタリア]]の[[詩人]][[ペトラルカ]]が[[フランス]]の[[アヴィニョン|アビニョン]]近郊の[[モン・ヴァントゥ|モンバントゥー]]に登った
{{要出典範囲|[[ルネサンス]]の始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王[[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]が[[1492年]]に{{仮リンク|エギーユ山|fr|Mont Aiguille}}<!--もしくはエギュイーユ-->の登頂を命じたのは、この範疇に入る。[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]はヴァル・セシア郊外の雪山に登り、様々な実験や観察を行った。[[16世紀]]には[[スイス]]の[[チューリッヒ]]を中心に登山を賞賛する動きがあり、[[コンラート・ゲスナー|コンラッド・ゲスナー]]と{{仮リンク|ジョシアス・シムラー|en|Josias Simmler}}が度々登山を行っていたことが記録されている。2人はロープとピッケルを使ったが、一般には広まらなかった。[[17世紀]]のヨーロッパには登山の記録がまったく残されていない。|date=2018年12月21日 (金) 07:55 (UTC)|title=}}
==== 近代登山の始まり ====
[[ファイル:00 Chamonix-Mont-Blanc - M G Paccard.jpg|thumb|200px|モンブランを見つめる[[:en:Michel-Gabriel Paccard|M.G.パカール]]の像]]
[[ファイル:Chamonix 2007 100 0022.JPG|thumb|140px|[[:en:Jacques Balmat|J.バルマ]]と[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール|H.B.deソシュール]]の像]]
[[ファイル:アンナプルナⅢ、マチャプチャレ1.jpg|thumb|230px|登山のメッカ、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]連峰の[[アンナプルナ]]III峰]]
18世紀後半、アルプス最高峰の[[モンブラン]]登頂が達成されたことが、[[近代]]的登山(近代登山、スポーツとしての登山<ref name="コトバンク-登山" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />)の幕開けとなった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}<ref name="コトバンク-登山" /><ref name="コトバンク-アルピニズム" />。1760年、[[自然科学]]者[[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール]]が[[シャモニー=モン=ブラン|シャモニー]]を訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年に{{仮リンク|ミシェル・ガブリエル・パカール|en|Michel-Gabriel Paccard}}および{{仮リンク|ジャック・バルマ|en|Jacques Balmat}}が登頂に成功し
==== アルプス黄金時代 ====
[[19世紀]]に入って、[[アルプス山脈|ヨーロッパ・アルプス]]の登山は盛んになった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。特に[[イギリス]]人によって'''アルプス黄金時代'''がもたらされ、登山技術の面でも急激な進歩があった{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。[[マッターホルン]](4,477m)は従来、登ることが不可能と見なされていたが、1865年7月14日に[[エドワード・ウィンパー]]が登頂に成功した{{sfn|平凡社|2011|p=266}}{{sfn|堀田|1990|pp=10-18}}。1857年には世界で最初の登山団体となる[[英国山岳会|イギリス山岳会]]が設立された{{sfn|平凡社|2011|p=266}}。1854年の{{仮リンク|ヴェッターホルン|en|Wetterhorn}}初登頂から1865年のマッターホルン初登頂までをアルプス黄金時代と呼ぶ{{sfn|堀田|1990|pp=10-18}}<ref name="コトバンク-登山" />。{{main|アルプス黄金時代}}
==== アルプス銀の時代 ====
アルプス黄金時代の間に、アルプス山脈の
==== 銀の時代以後 ====
97 ⟶ 100行目:
== 登山の技術 ==
=== 登山計画 ===
目的の山を選び{{efn2|メンバーの体力・技術・経験からパーティの能力を考え、それに適合した山を選ぶ{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。}}、期日を決め、パーティ(隊)のリーダーを決める{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。さらに、予算、各自の任務分担、行動予定、食料・装備などについて協議する会合をもつことにより、全ての参加者が、目的の山についての知識を得て、コースも熟知しているようになれば理想的である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
登山者が2人以上の場合には、必ずリーダーが定められる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。パーティ(グループ)が大人数の場合はサブリーダーも置き、リーダーの補助をさせる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
登山にはトレーニングも必要である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。筋肉を強くすることよりも、耐久力をつけることと健康の堅持に重点を置くトレーニングを平素から行うべきだとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
=== 歩行技術 ===
体力、山の状況、荷物の重さなどに応じて、疲労を少なくするように歩くことが重要だとされる{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。一定の速度で、足の裏全体を使ってリズミカルに歩くことを提唱する説もある{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
一般的には、歩き始めて最初の20分で一度休憩し、身体・衣服・荷物を調整する{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。その後は40-50分ごとに10分程度の休憩をとることが普通である{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。地図上で位置を確認しながら歩く{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。パーティでの歩行は、体力的な弱者を標準とする{{sfn|平凡社|2011|p=267}}。
=== 極地法 ===
多数の人々の支援を受けて、ベースキャンプから順に前進キャンプを設営しつつ物資や人員を進めてゆき、各キャンプの隊員の援助のもとに、少数の隊員が頂上に到達するという登山法{{sfn|平凡社|2011|p=267}}<ref name="コトバンク-極地法">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E6%A5%B5%E5%9C%B0%E6%B3%95-479454 |title=極地法(キョクチホウ)とは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。高山や、登頂までのアプローチが長い山で用いられる<ref name="コトバンク-極地法" />。登山では1922年にイギリスの[[エベレスト]]遠征隊が初めて用いた<ref name="コトバンク-極地法" />{{efn2|極地法と反対に、少人数でメンバー交代をせず、行動開始地点から短期間で一挙に目的地に達する方法をラッシュタクティクスという<ref name="コトバンク-極地法" /><ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9-656273 |title=ラッシュタクティクスとは - コトバンク |website= |publisher= |accessdate=2018-12-22}}</ref>。}}。
== 登山の装備 ==
384 ⟶ 372行目:
* {{Cite book |和書 |title=峠の歴史学 古道をたずねて |date=2007-09 |author=服部英雄 |publisher=朝日新聞社 |isbn=978-4-02-259930-8 |ref={{SfnRef|服部|2007}} }}
* {{Cite book |和書|title=山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か |date=2010-01 |author=羽根田治 |series=平凡社新書 |publisher=平凡社 |isbn=978-4-582-85506-7 |ref={{SfnRef|羽根田|2010}} }}
* {{Cite book |和書 |editor=平凡社 |date=2011-06 |title=世界大百科事典 |volume=20 |edition=改訂新版 |publisher=平凡社 |isbn=9784582034004 |ref={{SfnRef|平凡社|2011}} }}(執筆者は徳久球雄)
== 関連文献 ==
|