「テレサ・カレーニョ」の版間の差分

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== 生涯 ==
父マヌエル・アントニオ・カレーニョは、外務大臣や大蔵大臣を歴任したベネズエラの[[政治家]]で、素人ながら[[ピアノ]]の才能にも恵まれていた。また、スペイン語圏で広く知られ、たびたび版を重ねた[[スペイン語]]の礼儀作法の指南書『お行儀必携』(''Compendio del manual de urbanidad y buenas maneras'') の著者でもあった。母クロリンダ・ガルシア・デ・セナ・イ・トロは音楽家の娘である。父方の祖父[[{{仮リンク|ホセ・カイエターノ・カレーニョ]]|es|José Cayetano Carreño}}(1774年 - 1836年)はベネズエラの作曲界の重鎮であった。
 
[[カラカス]]に生まれたテレサは父からピアノの手ほどきを受けた後、ドイツ系ベネズエラ人ピアニストのフリオ・オエネに師事する。[[1862年]]、カレーニョ家はベネズエラ国内の政変のために[[アメリカ合衆国]]に移住し、テレサは[[ニューヨーク]]で[[ルイス・モロー・ゴットシャルク]]の指導を受ける。同年11月28日、わずか9歳にして、ニューヨーク・アーヴィン・ホールにてデビューを果たす。