「神戸新聞の7日間」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
42行目:
全て実在する人物。役職は[[阪神・淡路大震災]]発生当時。
* 三津山朋彦:[[櫻井翔]]([[嵐 (グループ)|嵐]])<ref>前週に放送された『[[最後の約束]]』に引き続き、2週連続で『土曜プレミアム』枠のドラマで主演を務めた。</ref>
:入社4年目の写真部記者。ドラマの語り手。元大手企業の会社員だったが報道カメラマンに憧れて神戸新聞社に転職。当時は綺麗な写真を撮ることにやりがいを感じていた。しかし、震災後は新聞製作不能となったことと則本から全国紙も撮れてない写真を撮ったからと首藤らと同様[[京都新聞社]]へ行くよう命じられ同行した。この時はカメラマンなのに現場に立てない苛立ちもあった。そして神戸に戻って本来の仕事に戻るが寝ていた小藤の「撮られへん」という言葉を聞き、実際に被災者にカメラを向けることに抵抗感を感じまともに写真を撮れなくなってしまった。そして友人の加賀美を震災で失う。それでも三木の社説を読んだことを機にカメラマンとしての自覚が芽生え堂々とカメラを向けることができるようになった。
:写真部記者。ドラマの語り手。元会社員。友人の加賀美を震災で失う。
* 小藤香織:[[吹石一恵]]
:写真部新人記者。紙面に載らないような失敗写真を繰り返し撮影し、則本から叱られるが震災後は緊迫感溢れる写真を撮影するなど評価も高かった。一方で三津山同様苦しむ被災者にカメラを向けることへの罪悪感も感じるようになる。だが三津山同様三木の社説がきっかけで立ち直った。
:写真部記者。
* 金居光由:[[萩原聖人]]
:写真部ベテランの記者。仕事の鬼として知られている。新人の小藤には「取材の基本は[[蚊取り線香]]や。周りからグルグル攻めてけば徐々に本質が見えてくる。頑張りや」とアドバイスを送った。震災後もカメラを向け続けるがそれが原因で被災者から怒鳴られることもあり、臨時編集局に帰り再度撮影に向かう際に則本から「デスクも少しはやってほしいんや」と頼まれると「写真撮るな」と言われてると誤解され、則本の首を絞め突っかかり三津山らと大揉めすることとなった。結局そのまま撮影に向かった。仕事を全うするために申し訳ないとは思いつつも報道カメラマンの使命として被災者にカメラを向け続けた。
:写真部記者。
* 則本修美:[[矢島健一]]
:写真部デスク。入社は局長の山根より1年早いがタメ口で話しかけられている。震災発生直後出社までに全国紙も撮れてない撮った写真を紙面に載せたい思いで三津山に京都へ行くよう命じた。現場に出続ける金居に「デスクも少しはやってほしいんや」と頼んだが、これが金居にとって「写真撮るな」と言われてると誤解され、首を絞められるなど三津山らと大揉めすることとなった。ホストコンピュータ復帰後に本来の働きを取り戻した部員を元気付ける一方で金居には「お前はほどほどにせい」と冗談交じりに笑顔でエールを送っている。
:写真部デスク。
* 陳友昱:[[田中圭]]
:社会部記者で三津山と同期(ただし三津山より4歳年下である)で仲もいい。震災後は取材して原稿を書いても記事にならないことへの苛立ちを見せて山根から「紙面は必ず帰ってくる。ちゃんと胸にしまっておけ」と忠告された。金居の堂々と被災者にカメラを向け続けることに対して金居からいつまでも記録に残さなあかんのや。5年、10年経ったら皆忘れてまうと言われると「それは金居さんの気持ちでしょう。被災者の気持ちはどうなるんですか。血だらけで意識ないのが写真撮られる被災者の気持ちを考えたことあるんですか」と激しく詰め寄った。しかし、「記事も書かんと人助け逃げとる奴に何がわかるんや。お前記者やろ。楽しとるだけやんけ」と逆に罵倒されてしまった。その後ホストコンピュータ復帰後は本来の明るい姿が戻った。
:社会部記者。
*望月克二:[[神保悟志]]
:社会部記者。宿直の最中に震災に遭遇した。京都新聞社との電話対応も行い続けた。
:社会部記者。
* 渡辺昭義:[[堀部圭亮]]
:整理部デスク。首藤の片腕。震災後は首藤、佐々、三津山と京都新聞社に向かい限られた時間の中で新聞製作を続けた。締め切りに間に合わない原稿が送られ激昂するなどしたが首藤から優しく励まされ前向きに神戸で頑張る記者の気持ちを考える。
:整理部デスク。
* 首藤満州児:[[高嶋政宏]]<ref>阪神・淡路大震災で父親の[[高島忠夫]]の実家が被災した、とドラマの公式HPで明かした。</ref>
:整理部長。震災当日京都新聞社に行くことを山根に直々に志願し、その全権を任された。見出しの記事に関しては当初は死者数の増加を伝える記事から被災者に希望を与える原稿を送るよう山根に要望し、自分たちも明るくしようと考える。
:整理部長。
* 山根秀夫:[[内藤剛志]]
:取締役編集局長(のち社長<ref>[http://this.kiji.is/61790482166267906 元神戸新聞社長、山根秀夫氏死去 阪神大震災で陣頭指揮] 共同通信2016年1月18日</ref>)。写真部員達に「“人間”を撮れ」と日頃から繰り返す。震災発生後は前年京都新聞社と結んだ「災害発生時は新聞発行を助け合う協定」に基づいて京都新聞社に電話し、整理部長の平田に新聞製作の確保を依頼した。震災でカメラを向けることへの抵抗感を感じた三津山に対して「家族がなくなった、恋人がなくなった、それらの思いを記録して伝える。それが俺たちの仕事だ。この仕事を続けるなら逃げるな」と諭す。
* 佐々忠夫:[[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]]
:車両部運転手。震災で足を怪我したが、家族のことも省みず被災者のために頑張り続ける記者を思い治療もせず仕事に精進した。
:車両部運転手。
*石田勝:[[深水三章]]
:販売店所長。
71行目:
*祥子の祖母:[[長内美那子]]
* 三木康弘:[[山本圭]]
:論説委員長。震災3日後の20日、[[社説]]「被災者になって分かったこと」<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/01/rensai/199501/0005491602.shtml 被災者になって分かったこと/阪神・淡路大震災] 神戸新聞震災アーカイブ</ref>を執筆。実家が倒壊し、父親が死亡した。このことから震災被災者として一番理解できる社員は三木しかいないことから山根から社説を書くよう依頼された
* 平田孝之:[[小野武彦]]
:[[京都新聞]]整理部長。災害時協力協定を発動し、神戸の発行を引き受ける。