「遠州七窯」の版間の差分

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'''遠州七窯'''(えんしゅうしちよう・えんしゅうなながま)とは、江戸時代中期の茶人、[[小堀遠州]]が全国津々浦々の窯場から自分好みの[[茶器]]を焼いていたことで賞賛した、七つの産地の総称である。この遠州のお目にかかるということは、当時としては非常に誉れ高いことであり、これらの産地は一躍、天下に名を轟かせることになった。そのうちの幾つかは、遠州が直接赴いて、茶器を生産している。
 
その七つの産地は[[志戸呂焼]](遠江:遠州)、[[膳所焼]](近江)、[[朝日焼]](山城)、[[赤膚焼]](大和)、[[古曽部焼]](摂津)、[[上野焼]](豊前)、[[高取焼]](筑前)である。(古曽部ではなく、伊賀を入れて七窯とする説もある)。このうち、古曽部焼は明治末に廃絶、他の産地も決して規模は大きくなく、このうち経済産業省指定伝統的工芸品に指定されているのは[[上野焼]]だけである。しかし、これらの産地は遠州七窯というだけで知名度があり、その喧伝は今日にも十分通用するものである。