「粛川・順川の戦い」の版間の差分

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各大隊の降下位置や鳴牛砧の位置を見る限り、日本語版の記述は順川と粛川が全体的に逆になっている気がする……
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=== 降下時期の決定 ===
第187空挺連隊は16日以降出撃準備完了していたが、奇襲効果の期待と降下部隊の安全確保という相矛盾する条件と悪天候の前に2度降下決され、2度変更延期された。19日夜、地上連携部隊の大同江渡河の目処が付いたため、明け20日晴天ならば降下の決がされた。尚、地上連携部隊としては、粛川に米第24師団隷下の英第27旅団が、順川にドジャーズ支隊(戦車1個中隊、騎兵(機械化歩兵)1個大隊基幹)が前進することになった。さらに、韓国第二軍団長[[劉載興]]将軍の命により韓国第6師団の順川への突進も同時に進行していた。
 
== 空挺降下 ==