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諸説あるが、[[1598年]]に[[オランダ人]]によって持ち込まれたとされる<ref name="jag1972.27.228">[https://doi.org/10.5458/jag1972.27.228 吉町晃一:澱粉資源ジャガイモ] 澱粉科学 Vol.27 (1980) No.4 P228-243, {{doi|10.5458/jag1972.27.228}}</ref>。[[ジャワ島]]の[[ジャカルタ|ジャガタラ]]を経由して伝来したため'''ジャガタライモ'''と呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった<ref name="jag1972.27.228"/>。
 
[[江戸時代]]後期の18世紀末にはロシア人の影響で[[北海道]]・[[東北地方]]に移入され、飢饉対策として栽培された。[[蘭学者]]の[[高野長英]]はジャガイモ栽培を奨励している。また、江戸後期には[[甲斐国]]の代官であった[[中井清太夫]]がジャガイモ栽培を奨励したとされ、[[享和]]元年(1801年)には小野蘭山が[[甲斐国]]黒平村([[甲府市]])においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)<ref>宮澤富美恵「甲州のジャガイモ栽培」『甲州食べもの紀行』[[山梨県立博物館]]、2008年</ref>。また、江戸時代後期には北海道の[[アイヌ]]の人々もジャガイモを栽培していた<ref>{{PDFlink|[http://www.coleman.co.jp/event/winter/bbw_0903.pdf アイヌ民族の「食」]}} - [[アイヌ民族博物館]]</ref>。[[寛政]]年間、探検家の[[最上徳内]]がアブタ場所(現在の[[洞爺湖町]]虻田地区)に種イモを持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが北海道でのジャガイモ伝来だという<ref>『図解アイヌ』 角田陽一 [[新紀元社]] 2018年 p134</ref>。
 
本格的に導入されたのは[[明治維新]]後で、[[北海道]]の開拓に利用された。アメリカで[[ウィリアム・スミス・クラーク]]に学び、後に「いも判官」と呼ばれた初代根室県令[[湯地定基]]により普及し、[[川田龍吉]]男爵により特に男爵いもが定着した。当初は[[西洋料理]]の素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。