「真実の10メートル手前」の版間の差分

「概要」追記。「あらすじ」修正。
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(「概要」追記。「あらすじ」修正。)
 
表題作以外の5作品は、作品中の時系列ではいずれも『王とサーカス』以後の設定で、フリーの記者としての太刀洗の活躍が描かれている<ref group="注">「正義漢」では太刀洗は「記者」と名乗るだけで、新聞記者なのかフリーの記者なのか判然としないが、太刀洗は『さよなら妖精』から10年後の『王とサーカス』の直前に新聞社を退職してフリーの記者になっており、「正義漢」では太刀洗の高校時代の友人により「あれから十数年」と語られていることから「正義漢」の時系列は『王とサーカス』以後になる。</ref>。最初に発表された作品は、『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』([[2007年]]4月号)に発表された「失礼、お見苦しいところを」を改題した「正義漢」だが<ref name="kaisetsu">[[創元推理文庫]]『真実の10メートル手前』巻末の宇田川拓也による解説参照。</ref>、この時点では太刀洗を主人公としたシリーズ短編の執筆の予定はなかった<ref name="atogaki"/>。転機となったのは、[[2010年]]2月に刊行された『蝦蟇倉市事件2』(東京創元社)<ref group="注">一つの街を舞台に複数の作家が短編を寄せる[[アンソロジー]]企画。</ref>のために執筆した「ナイフを失われた思い出の中に」で、太刀洗の記者としての覚悟を問う作品であり、作者は「シリーズ全体のトーンを定めたと思う」と述べている<ref name="atogaki"/>。
 
なお、『さよなら妖精』との関連では、「正義漢」には太刀洗を「センドー」と呼ぶ高校時代の友人<ref group="注">友人の名前は登場しないが、太刀洗を「センドー」と呼ぶことから『さよなら妖精』の主人公・守屋路行と思われる。</ref>、「ナイフを失われた思い出の中に」にはマーヤの兄が登場する。
 
== あらすじ ==
; 真実の10メートル手前
: [[ベンチャーキャピタル|ベンチャー企業]]「フューチャーステア」の社長の早坂一太と、その妹で広報担当の真理が、経営破綻後に失踪する。東洋新聞の記者である太刀洗万智は、真理の妹の弓美(ゆみ)から、真理との前夜の電話の会話データをもらうとともに、真理を捜して欲しいと頼まれる。真理の行方が「おばあちゃんの近く」で、父方の祖母が[[山梨県]]の幡多野町、母方の祖母が[[静岡県]]の[[御前崎]]に住んでいると聞いた太刀洗は、会話データから行き先を幡多野町と推理し、真理の身を案じつつ、記者としての職務を果たすため、後輩の藤沢を連れて幡多野町に向かう。そうして他の報道陣に先んじて真理の居所を突き止めた太刀洗だが、真理が乗っている車まで10メートルという距離まで近づいた時、車の窓枠に目張りがしてあるのに気がつく。車に向かって駆け出す太刀洗は、同時に救急車のサイレンの音を聞き取る。
 
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; ナイフを失われた思い出の中に
: 仕事で来日したヨヴァノヴィチは、仕事の合間をぬって浜倉市に妹がかつて日本にいたときの尊敬に値する友人・太刀洗万智に、仕事の合間をぬって浜倉市まで会いに来た。仕事で浜倉に来ている太刀洗が観光を勧めるのに対し、ヨヴァノヴィチは彼女の仕事が何かを聞かないまま同行を申し出る。太刀洗はヨヴァノヴィチに記者を名乗り、16歳の少年が3歳の幼女を刺殺した事件を調べていること、さらに事件の詳細を説明した。殺された女の子は松山花凜で母親の良子と2人暮らし、殺害容疑で逮捕されたのは良子の弟の良和であった。良和は6日前の8月1日、良子の留守中に花凜のはだけた胸に何度もポケットナイフを突き刺しているところを向かいの住人に目撃され、翌々日に逮捕され犯行を自供している。ただし、花凜の上着の行方は不明である。
 
: この単純な事件の調査目的を理解できないヨヴァノヴィチは、自身の不愉快な過去から生じる記者に対する不信感を語る。彼の祖国が戦火に見舞われたときに訪れた記者たちは、一様にあらかじめ一方を悪とする結論を用意して、その結論に沿った報道を行った。一方、ヨヴァノヴィチたちを助けてくれたあるカナダ人は、彼らの結論を知らずに公平であろうとしたために、不公平と罵られ破滅させられた。そして、そうした仕事をどうすれば正当とし、誇りとすることができるのか理解できないと語る。
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; 綱渡りの成功例
: [[長野県]]南部を襲った未曾有の豪雨により、大沢地区の北端で民家3軒を巻き込む土砂崩れが起こった。1軒は無傷だったが外部との連絡手段をたれてしまい、そこに住む戸波夫妻は70歳を超えておりいつ体調を崩してもおかしくない状況から、その救出が急務だった。3日後の8月20日、救出劇テレビでも放送される中、夫妻はようやくレスキュー隊によって救出され、大きな感動を呼んだ。その翌日、消防団員として救出現場に立ち会った大庭の元に、大学時代の1年先輩である太刀洗万智が訪ねて来た。フリーの記者として取材にやって来た太刀洗は、戸波夫妻の家に生活用品を売っていたのが大庭の実家の大庭商店で間違いないかを尋ねる。戸波夫妻は、孫の顔を見せるために年始の挨拶に訪れた三男が帰り際に残していったコーンフレークを食べて救出までの3日間を凌ぐことができた。太刀洗は、そのコーンフレークのことを知りたがっていた。そして、大庭商店の移動販売が大沢地区を訪れたのは8月10日のことだった。
 
: 大庭は、太刀洗の取材目的が分からないながらも戸波夫妻の取材への同行を申し出る。そして、大庭とともに夫妻に面談した太刀洗が「コーンフレークには、何をかけたのですか?」と尋ねると、主人は顔を石のように強張らせ、その目から大粒の涙があふれ出した。夫妻はコーンフレークに牛乳をかけて食べたが、真夏の暑さの中、牛乳を腐らせないためには冷蔵庫が必要だった。しかし、救出までの3日間、戸波家の電気は引き込み線が切断されたために使うことができなかった。