「ジャガイモ」の版間の差分

品種毎の節分けは不要。内容の深い理解につながらない西暦年のリンクを除去
(品種毎の節分けは不要。内容の深い理解につながらない西暦年のリンクを除去)
ジャガイモは地下の[[茎]]の部分([[球根|塊茎]])を食用にする。加熱調理して食べられる他に、[[デンプン]]原料としても利用される。比較的保存が効く食材であるが、暗くても[[温度]]の高い所に保存すると[[発芽]]しやすいため、涼しい場所での保管が望ましい。芽や緑化した塊茎には[[毒]]性成分ポテトグリコアルカロイド([[ソラニン]]など)が多く含まれ、中毒の元になる。
 
ジャガイモの原産は[[南アメリカ|南米]][[アンデス山脈]]の高地といわれる。[[16世紀]]には、[[スペイン|スペイン人]]により[[ヨーロッパ]]にもたらされた。この時、運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒にあたったため「悪魔の植物」と呼ばれた。[[日本]]には、[[1600年]]頃に[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]船により[[ジャカルタ]]港から運ばれた。「ジャカルタから来たいも」として「じゃがたらいも」、さらに「じゃがいも」と呼ばれるようになったという説がある<ref>[http://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_tanken/zyaga/01.html ジャガイモ 「どこからきたの?」][[農林水産省]](2018年4月18日閲覧)</ref>。
 
日本では当時は観賞用として栽培されたという。
「ジャガイモ」という呼び名<ref>あるいは「ジャガイモ」を転じた「ジャイモ」「ジャガライモ」「ジャガタイモ」「ジャガタロ」「ジャガタ」「ジャカタ」「ジャガトライモ」(『日本の方言地図』より)</ref>について、「じゃが」とは、[[ジャワ]]のジャガトラ(ジャカルタ)からオランダ造船によって伝播したことに因む。これが変化して現在のジャガイモという呼び名になった<ref name="hoj">{{Harvnb|伊藤章治|2008}}</ref>。ただし異説もあり、ジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの<ref name="n1948">『爪哇芋渡来三百五十年記念事業趣意書』(長崎県、1948年)</ref>、[[天保の大飢饉]]でジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたもの<ref name="n1948"/>などともされる。
 
「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名<ref>あるいは「馬鈴薯」を転じた「バレンショ」「バレーチョ」「バレージョ」(『日本の方言地図』より)</ref>もよく用いられる<ref name="jag1972.27.228"/>。これは[[中華人民共和国|中国]]での呼び名の一つと漢字が同じで、[[中国語]]で読むとマーリンシュー([[ピン音]] {{Lang|zh|mǎlíngshǔ}})となる。[[18世紀]]に日本人の[[小野蘭山]]『耋筵小牘』(1807年)が命名したといわれているが、中国名をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた名前がたまたま中国名と同じだったのか、それとも蘭山の命名が中国に伝わったのかは明らかではない。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ているということから、この名前になったという<ref name="hoj"/>。また、「[[マレー半島|マレー]]の芋」という意味からこの名前が付けられたという説もある。なお、中国では他に「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの呼び方もある。なお、日本の行政では馬鈴薯と呼んでいる<ref name="jag1972.27.228"/>。
 
[[英語]]の''potato''の語源は、[[タイノ族]]の言葉で[[サツマイモ]]を意味する''batata''が[[スペイン語]]の''patata''に変化したものによる<ref>大修館書店『スタンダード英語語源辞典』</ref>。なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つである[[ケチュア語]]では''papa''というが、この単語はそのまま中南米スペイン語で使われている。スペイン語で''batata''が''patata''に変化したのはこの''papa''の影響であると考えられている<ref>小学館『西和中辞典』初版4刷 p1413,p1437</ref>。''Papa''は[[ローマ教皇]]を意味する単語と同じであったため、これを忌避して''Patata''に変遷したともいわれる<ref>{{Harvnb|伊藤章治|2008|p=44}}</ref>。
* 「治助イモ」 - 東京都[[奥多摩町]]の特産<ref>[http://www.town.okutama.tokyo.jp/sangyo/nogyo/tokusanbutsu/jisukeimo.html 治助イモ]奥多摩町ホームページ(2018年4月23日閲覧)</ref>。
* 「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」- [[オランダ語]]の''aardappel''(大地のりんご)に由来する呼称も存在する<ref name="hogen"/>。
* 「イモ」「エモ」- [[アイヌ語]]。日本語の「いも」が由来。「五升芋」が訛った「コソイミ」という呼称もある。<ref>林喜茂『アイヌの農耕文化』  1969年  慶友社  p84-85</ref>
 
== 歴史 ==
ジャガイモは南米アンデス中南部の[[ペルー]]南部に位置する[[チチカカ湖]]畔が発祥とされる<ref>{{Harvnb|山本紀夫|2004}} - 山本は「中央アンデス高地の市で売られている多種多様な品種のジャガイモはアンデスの人々が何千年もかけて改良した結果に他ならない」と述べている。</ref><ref>{{Harvnb|山本紀夫|2004}} - 山本は、同時にジャガイモの祖先種と見られる[[野生種]]の存在についても言及している。</ref>。もっとも初期に栽培化されたジャガイモは ''Solanum stenotomum'' と呼ばれる[[染色体]]数24本の[[二倍体]]のもので、その後四倍体の ''Solanum tuberosum'' が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている{{Sfn|山本紀夫|2004}}。
 
このジャガイモが[[ヨーロッパ大陸]]に伝えられたのは、[[インカ帝国]]の時代、[[15世紀]]から[[16世紀]]頃とされている。当初、インカ帝国の食の基盤は[[トウモロコシ]]ではないかと伝えられていたが、[[ワマン・ポマ]]が1615年に残した記録<ref>アンデスの歴史や文化について書かれた資料『新しい記録と良き統治』において、ジャガイモの植え付けを行う人の様子が記録されている。</ref>や[[マチュ・ピチュ]]の段々畑の史跡研究、気象地理条件<ref>トウモロコシは温暖な気候に適した作物であり、3500mを超える高地での栽培跡が確認できていない一方、ジャガイモは4000m級の場所でも栽培跡が確認されている。</ref>、食生活の解析<ref>[[インカ人]]の人骨に含まれるたんぱく質から生前の食生活を解析した結果、主要な食料源はイモ類、豆類であったことが判明した。</ref>など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている<ref>{{Cite |和書 |author=石毛直道 |title=食文化探訪 |date=1998 |publisher=新人物往来社 |isbn=4404026846 |ref=harv}}</ref>。しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、[[スペイン人]]がジャガイモを本国に持ち帰ったのは[[1570年]]頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている<ref>ラリー・ザッカーマン『じゃがいもが世界を救った』</ref>。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない<ref>{{Harvnb|伊藤章治|2008}}では、イギリスへの伝播についてはスペインの船がアイルランド沖で座礁し、積荷のジャガイモが知られるようになったとする説や、航海家[[ウォルター・ローリー]]による説などが紹介されている</ref>。いずれにせよ[[16世紀|16世紀末]]から[[17世紀]]にかけては植物学者による菜園栽培が主であり<ref>[[観葉植物]]として楽しまれていたが、16世紀の後半[[エリザベス1世]]がジャガイモの若芽を食べてしまい、それに含まれている有害物質のソラニン中毒になったことなどもあり、普及が遅れた。</ref>、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。普及は、[[プロイセン王国]]で[[三十年戦争]]により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少する[[ムギ]]に代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である<ref name="seikatsueisei1957.29.177">[https://doi.org/10.11468/seikatsueisei1957.29.177 神戸保:ジャガイモ] 生活衛生 Vol.29 (1985) No.3 P.177, {{doi|10.11468/seikatsueisei1957.29.177}}</ref>。さらにジャガイモは18世紀には、[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド移民]]の手により北アメリカへ渡り、[[アメリカ独立戦争]]における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となった。
[[ファイル:IrelandEuropePopulation1750.PNG|thumb|350px|アイルランドと1750年からのヨーロッパの人口の変動。1845年から49年にかけてのアイルランドでの[[ジャガイモ飢饉]]の悲惨な結果とそれ以前の人口増加を表している。]]
[[アイルランド]]の小作農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。ジャガイモは寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。しかし、[[1845年]]から[[1849年]]の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、[[ジャガイモ飢饉]]で100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。また、イギリス、北アメリカ、オーストラリアなどへ、計200万人以上が移住したといわれる。アメリカ合衆国に渡った[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド人移民]]はアメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。この時代のアメリカへの移民の中には、[[ケネディ家]]の先祖も含まれていた。
 
アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから鳥害にも影響されないジャガイモは庶民の食料として爆発的な普及を見せた。[[アダム・スミス]]は『[[国富論]]』において「小麦の三倍の生産量がある」と評価しており、瞬く間に[[麦]]、[[米]]、[[トウモロコシ]]に並ぶ「世界四大作物」としてその地位を確立した。
 
=== 日本への伝来 ===
諸説あるが、[[1598年]]に[[オランダ人]]によって持ち込まれたとされる<ref name="jag1972.27.228">[https://doi.org/10.5458/jag1972.27.228 吉町晃一:澱粉資源ジャガイモ] 澱粉科学 Vol.27 (1980) No.4 P228-243, {{doi|10.5458/jag1972.27.228}}</ref>。[[ジャワ島]]の[[ジャカルタ|ジャガタラ]]を経由して伝来したため'''ジャガタライモ'''と呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった<ref name="jag1972.27.228"/>。
 
[[江戸時代]]後期の18世紀末にはロシア人の影響で[[北海道]]・[[東北地方]]に移入され、飢饉対策として栽培された。[[蘭学者]]の[[高野長英]]はジャガイモ栽培を奨励している。また、江戸後期には[[甲斐国]]の代官であった[[中井清太夫]]がジャガイモ栽培を奨励したとされ、[[享和]]元年(1801年)には小野蘭山が[[甲斐国]]黒平村([[甲府市]])においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)<ref>宮澤富美恵「甲州のジャガイモ栽培」『甲州食べもの紀行』[[山梨県立博物館]]、2008年</ref>。また、江戸時代後期には北海道の[[アイヌ]]もジャガイモを栽培していた<ref>{{PDFlink|[http://www.coleman.co.jp/event/winter/bbw_0903.pdf アイヌ民族の「食」]}} - [[アイヌ民族博物館]]</ref>。[[寛政]]年間、探検家の[[最上徳内]]がアブタ場所(現在の[[洞爺湖町]]虻田地区)に種イモを持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが北海道でのジャガイモ伝来だという<ref>『図解アイヌ』  角田陽一  [[新紀元社]]  2018年  p134</ref>。
 
本格的に導入されたのは[[明治維新]]後で、[[北海道]]の開拓に利用された。アメリカで[[ウィリアム・スミス・クラーク]]に学び、後に「いも判官」と呼ばれた初代根室県令[[湯地定基]]により普及し、[[川田龍吉]]男爵により特に男爵いもが定着した。当初は[[西洋料理]]の素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。
日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。1979年4月に、北海道[[斜里郡]][[清里町]]の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎を製造販売した。以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作る[[焼酎#芋焼酎|芋焼酎]]と比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。
 
== 主要品種 ==
{{See also|en:List of potato cultivars}}
日本では99品種が品種登録されている<ref>[http://www.hinsyu.maff.go.jp/]、農林水産省、2011年3月31日</ref>。現在では公的機関ばかりでなく、農家により突然変異を基にした新種育成もまれに行われている<ref>[http://www.maff.go.jp/j/seisan/gizyutu/hukyu/h_takumi/pdf/nagasaki_22.pdf 農業技術の匠]</ref>。なお、先述した通り以下の説明における「生食用」は家庭や飲食店での調理素材であることを意味し、'''非加熱で食用とする意味ではない'''。
 
===; 男爵薯(だんしゃくいも) ===
[[画像:Potato_cv_IrishCobbler.JPG|thumb|150px|right|男爵薯]]
生食用品種。英名は「アイリッシュ・コブラー(Irish Cobbler,「アイルランドの靴直し職人」)」といい、[[1876年]]ごろにアメリカで赤い「アーリーローズ<ref>[http://www.jrt.gr.jp/var/earlyrose.html アーリーローズ]</ref>」の白色変異種として発見され、発見者にちなみ命名されたと伝えられているが、近年の調査で「アーリーローズ」由来説は否定されており、何らかの雑種由来と考えられている<ref>日本いも類研究会、[http://www.jrt.gr.jp/var/danshaku.html 男爵薯]、2012年1月23日閲覧</ref>。[[明治時代]]の[[1908年]]に[[川田龍吉]]男爵が[[イギリス]]から持ち込んで日本に定着させた品種(品種の正体が「アイリッシュ・コブラー」であることは後に判明した)。デンプンが多くホクホクした食感が得られるが、煮くずれしやすい。このため、[[粉吹き芋]]や[[マッシュポテト]]、[[コロッケ]]など潰してから使う料理に適している。芽の部分が大きく窪んでおり、でこぼこした形状なので皮をむきにくい。主に、東日本で主流の品種である。花は薄い紫色、[[雄性不稔]]のため父親とはならないが、直接の母として「キタアカリ」「農林一号」などがあり、交配によらないものとして[[プロトクローン]]から「ホワイトバロン」が選抜された。
 
===; メークイン ===
[[画像:Potato cv MayQueen.jpg|thumb|150px|right|メークイン]]
生食用品種。英名は"May Queen"。イギリスで民間に栽培されていたのが1900年に登録され、[[大正|大正時代]]に日本に持ち込まれた品種<ref>日本いも類研究会、[http://www.jrt.gr.jp/var/mayqueen.html メークイン]、2012年1月23日閲覧</ref>。[[北海道]][[厚沢部町]]の道立試験場で初めて栽培されたことから、同町はメークイン国内発祥の地として自認しており、毎年、夏祭りで世界最大の[[コロッケ]]を揚げてPRしている<ref>{{Cite web |date= 2010/7/25|url= http://www.ehako.com/news/news2009a/1542_imode_msg.shtml|title= 厚沢部、巨大コロッケ世界一奪還! |publisher= 函館新聞|accessdate=2018-08-04}}</ref>。
男爵イモよりもねっとりしていて、煮くずれしにくい。このため、[[カレー_(代表的なトピック)|カレー]]や[[シチュー]]や[[肉じゃが]]など、煮て調理する料理に適している。男爵薯に比べて長い形状で、でこぼこもそれほどひどくなく、皮はむきやすい。主に西日本での消費が多い。世界的に見ても、特に日本で人気がある種(イギリスでも今日では忘れ去られている)。「メイクイーン」と呼ばれることも多いが、品種名としてはメークインが正しい名前である。花は紫色で雄性[[不稔]]。長年派生種は存在しなかった<ref>[http://www.geocities.jp/a5ama/ms.html *悲しい女王『メークイン』*]</ref>が、21世紀に入って俵正彦により[[突然変異]]から「タワラ小判」「タワラ長右衛門宇内」が選抜された。
 
===; キタアカリ ===
[[画像:Potato cv kitaakari.JPG|thumb|150px|right|キタアカリ]]
生食用品種。男爵薯を母親として、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性を付与させて農林水産省北海道農業試験場(現:[[北海道農業研究センター]])で育成したもので、1987年に品種登録された。[[カロテン]]や[[ビタミンC]]の含有量が多い。男爵薯同様、粉吹き芋やマッシュポテトに適している。黄色が強めである。
 
===; コナフブキ ===
でんぷん原料用品種(農林認定:ばれいしょ農林26号)。日本において男爵薯についで生産量の多い品種で、北海道のみで作付されている。ジャガイモの最大の害虫とされる[[ジャガイモシストセンチュウ]]に対する抵抗性を持たず、近年は生産量を減らしている<ref>[http://www.jrt.gr.jp/var/n26.html コナフブキ]</ref>。
 
===; とうや ===
[[画像:Potato cv Toya.jpg|thumb|150px|right|とうや]]
生食用品種。ジャガイモシストセンチュウ抵抗性およびウイルス病 (PVY) 耐性を目的として北海道農業試験場で育成され、1995年に品種登録された。内部が黄色く、[[カロテン]]や[[ビタミンC]]の含有量が多い。口当たりが滑らかで、ポテトサラダに適している。JAたんの(現:JAきたみらい端野支所)では、独自ブランド名として黄爵(こうしゃく)と名付けて販売している。
 
===; ワセシロ ===
生食(加工)用品種。北海道立根釧農業試験場で育成され、1974年に品種登録。新じゃがポテトチップの材料として使用される。
 
===; トヨシロ ===
[[画像:Potato cv Toyoshiro.jpg|thumb|150px|right|トヨシロ]]
加工用品種。北海19号とエニワの交配種で、1976年に品種登録。ポテトチップの材料として生産されている品種。風味は男爵薯に較べると劣るといわれるが、揚げると男爵に比べ色合いがよい。
 
===; ホッカイコガネ ===
生食用品種。「トヨシロ」を母、「北海51号」を父として交配された品種で、1981年に品種登録。細長い形はメークイン似ており、やや黄色みを帯びている。煮崩れに対する強さはメークインを上回り、「黄金メーク」「コスモメーク」等の別名でも呼ばれる。収穫時期がメークインより遅いので、その代替品として店舗に並ぶことも多い。
 
===; インカのめざめ ===
[[画像:inca no mezame.jpg|thumb|150px|right|インカのめざめ]]
2002年に種苗登録された小粒で黄色みの強い品種。アンデス産の小粒で食味が良い種(''S. tuberosum'' ではなく、2倍体の ''P. phureja'')と、アメリカの品種 Katahdin の半数体を交配させ、日本の長日条件下で栽培できるように開発した2倍体の品種(2倍体のジャガイモの品種は日本初)<ref>{{Cite web |date= 2009年|url= https://agriknowledge.affrc.go.jp/api-agrknldg/media/pdf/show/id/2010773136|title= 橙黄肉色を有する二倍体のバレイショ品種「インカのめざめ」 の育成
|format=PDF |publisher= 農林水産省農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター|accessdate=2018-08-04}} </ref>。甘みが強く、サツマイモや[[クリ|栗]]に似た味を持つなど食味はよいが、収量は少なく、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しい。また発芽しやすく、長期の保存には不向きである。生食用品種として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモの中では高価である。北海道十勝地方の[[幕別町]]などが主産地である。長期冷蔵貯蔵によりさらに糖度の増加した物もあり、近年ではその風味を生かした本格焼酎の原料にもなっている。
 
===; デジマ ===
[[画像:Potato cv Dejima.jpg|thumb|150px|right|デジマ]]
[[長崎県農林技術開発センター|長崎県総合農林試験場]]で交配・育成された品種で、1971年(昭和46年)に品種登録された。品種名は[[江戸時代]]に外国への窓口であった長崎の[[出島]]に因んだもの。長崎県を中心に[[九州]]で多く栽培される。多収で薯が大きくなる品種。肉色は黄白色で適度に煮崩れし美味だが、明るい所では[[緑化]]しやすい。
 
===; ニシユタカ ===
[[画像:Potato cv Nishiyutaka.jpg|thumb|150px|right|ニシユタカ]]
長崎県をはじめとした暖地での主要品種の一つ。長崎県総合農林試験場で交配・育成され、1978年(昭和53年)に品種登録された。親は母がデジマ、父が長系65号。茎は短く直立、肥大性良、多収で栽培しやすい品種。
 
===; ラセット・バーバンク ===
[[画像:Russet_potato.jpg|thumb|150px|right|ラセットバーバンク]]
英名は"[[:en:Russet Burbank potato|Russet Burbank potato]]"。1875年に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の種苗家[[ルーサー・バーバンク]]が開発した『バーバンク』の[[突然変異]]により1910年頃に誕生。大きくなるため[[フライドポテト]]に向き、日本へも加工品が多く輸出されている。
"Russet"は、「ザラザラした」という意味で、芋の表面の特徴に因む。ラセット・バーバンク以外にもラセット・レンジャー、ラセット・ノーコタ、ノーキング・ラセット、シェポディーなどの品種があり、これらを総称して「ラセット種」「ラセットポテト」などと呼ぶ。これらラセット種は、アメリカで最もポピュラーな品種である<ref>{{Cite web |url=http://www.potatoesusa-japan.com/table-stock_potatoes.html |title=United States Potato Board - Table-Stock Potatoes |publisher=米国ポテト協会 |accessdate=2013-06-07}}</ref>。
 
===; シンシア ===
仏名は"Cynthia"。[[フランス]]のジャガイモ育種・販売会社であるジェルミコパ社により育成され、1996年に登録された品種。日本では2003年2月に品種登録された。他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、貯蔵性に優れ煮物にしたときの煮崩れが少ないなどの理由で人気がある。
 
===; アンデス赤 ===
1971年から1974年にかけて<ref>系統名から1972に交配が行われた可能性が高い</ref>[[川上幸治郎]]らがアーリーローズを母、アンデス原産の2倍体栽培種「''S.phureja 253''」を父として交配し「M72218」の名で選抜育成していた3倍体の種間雑種系統。春作よりむしろ秋作に適し、[[岡山県]][[牛窓町]]のばれいしょ採種農家が在来種として栽培を繰り返し維持してきた<ref>育成者等は「ネオデリシャス」と呼んでいたが、原採種栽培での名称は「アンデス赤」となっており、一般には「アンデス赤」「レッドアンデス」、「アンデスレッド」「アンデス」等の名称で販売されている</ref>。[[派生種]]として、[[麒麟麦酒]]が本種の[[プロトプラスト]]培養から選抜した「ジャガキッズ」、俵正彦が[[突然変異]]から選抜した「タワラマガタマ」「タワラヨーデル」がある。
 
アイルランドでは栽培の容易さや収量のためだけではなく、支配者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ、自分たちが収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。
 
結果としてアイルランドでは、主食としてジャガイモが非常に重要になった。このため、[[1840年代]]にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドでは[[ジャガイモ飢饉]]が起こり、大勢のアイルランド人が[[北アメリカ]]に移住することになった。その移民の中に、後に第35代[[アメリカ合衆国大統領]]になる[[ジョン・F・ケネディ]]の曾祖父パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち4代目である)。
 
=== ドイツ ===
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Solanum tuberosum}}
{{Species|Solanum tuberosum}}
* [[ジャガイモ飢饉]]
* [[アクアビット]]
 
== 外部リンク ==
{{commonscat|Solanum tuberosum}}
{{Species|Solanum tuberosum}}
* [http://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_tanken/index.html 農産物たんけん隊:農林水産省]
* [http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/nsk/potato/ 北海道のじゃがいも 北海道農政部生産振興局農産振興課]
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