「リアリズム法学」の版間の差分

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語学に堪能であった[[ロスコー・パウンド]](Roscoe Pound)は、上記のホームズの他、ドイツの法学者である[[オイゲン・エールリッヒ]](Eugen Ehrlich)の議論に強く影響を受けつつ、「社会学的法学(Sociological Jurisprudence)」を発展させた。彼は、時代の要請を受けつつ動態的に社会的利益を増進するための道具として、法(学)を考えたのである。彼は次のように述べている。<blockquote>法は安定していなければならないが、 しかし同時に、 静止することもできないのである。 それゆえに、 〔歴史上の〕あらゆる法思想は、 安定の必要と変化の必要という、衝突する要請を調和させるために努力してきたのだ。<ref>Roscoe Pound (1922) ''An Introduction to the Philosophy of Law'', Yale University Press, introduction</ref></blockquote><blockquote>〔法は、〕その内的な構造の精密さによってではなく、それが達成する結果によって判断されなければならない。それは、その論理的なプロセスの美しさや、それがその基礎と見なすドグマからそのルールが生じる厳密さによってではなく、それがその目的を達成する程度によって評価されなければならない。<ref>Roscoe Pound (1908) “Mechanical Jurisprudence”, 8 ''Columbia Law Review'' 605, p.605. なお訳出は、戒能通弘(2011)「近代英米法思想の展開(4・完)」『 同志社法学』63巻1号、p.664に依る</ref></blockquote>パウンドは、リアリズム法学が興隆するにつれ、リアリズム法学を痛烈に批判することになるが<ref>Roscoe Pound (1931) “The Call for a Realist Jurisprudence”, 44 ''Harvard Law Review'' 697 </ref>、元来その主張の主旨は、リアリズム法学と通底するものであると考えられる<ref>森村進(2016)「リアリズム法学は社会学的法学とどこが違うのか」同編『法思想の水脈』法律文化社</ref>。
 
=== 社会的背景文脈 ===
19世紀末から20世紀初頭にかけて、保守的な裁判官らによって、進歩的な立法が違憲とされ、無効とされており、司法に対し大きな不満がたまっていた。たとえば、その象徴的事件とされる、1905年の「ロックナー対ニューヨーク州事件」<ref>Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905)</ref>では、パン屋で労働する者を保護するために最大労働時間を規制する法律が無効にされ、1923年の「アドキンス対子供病院事件」<ref>Adkins v. Children's Hospital, 261 U.S. 525 (1923)</ref>では、最低賃金を定める法律が無効とされた。