「獅子文六」の版間の差分

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1955年には『[[青春怪談]]』が日活([[市川崑]]監督)と新東宝([[阿部豊]]監督)で競作映画化されている。また『[[娘と私]]』は、[[1961年]]に[[NHK総合テレビジョン|NHK]]で『[[連続テレビ小説]]・娘と私』としてテレビドラマ化された。1958年には、長男の慶応幼稚舎への進学を考え、東京・赤坂の住宅地に転居。同じ敷地内に、妻の姉の嫁ぎ先である[[和田小六]]の家、和田家の娘の嫁ぎ先である[[都留重人]]・[[肥後一郎]]の家があった<ref>福本信子『獅子文六先生の応接間』(影書房)P.25</ref>。
 
[[1963年]]には[[日本芸術院賞]]を受賞、翌年には芸術院会員となる。[[1969年]]には文化勲章を受賞し、[[文化功労者]]となった。同年12月13日に[[脳出血]]のため[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の自宅で死去。享年77。戒名は牡丹亭豊雄獅子文六居士<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)162頁</ref>。[[谷中霊園]]に眠る。
 
1966年から死去するまで、[[早川書房]]の演劇雑誌『[[悲劇喜劇]]』の監修をつとめた。