「酉陽雑俎」の版間の差分

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== 撰者・段成式 ==
撰者の段成式は、時の宰相や[[節度使]]であった[[段文昌]]の子である。[[青州 (山東省)|青州]][[臨シ区|臨淄県]]([[山東省]])の出身、[[字]]は柯古。官は秘書省の校書郎となり、宮中にある秘閣の蔵書に精通していた。その上、段家には蔵書が多く、また、[[仏典]]にも詳しかった。[[江州 (江西省)|江州]]刺史、太常少卿などの官を歴任した。官を辞してからは、[[襄陽市|襄陽]]に居を構え、863年(咸通4年)に没した。
 
== 概要 ==
書名の「酉陽({{ピン音|Yŏuyáng|ユウヤン}}ゆうよう)」は、[[湖南省沅陵県]]にある小酉山の麓に、書1,000巻を秘蔵した穴が存在するという伝承に則っている。内容は、[[神仙]]や仏[[菩薩]]、人鬼より、怪奇な事件や事物、風俗、さらには動植物に及ぶ諸事万般にわたって、異事を記しており、中国の[[小説]]あるいは随筆中においてその広範さは一、二を争う。[[魯迅]]の愛読書であり、[[南方熊楠]]が、[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]の『[[博物誌]]』と名を比した書としても知られる。
 
テキストの伝世に関しては、不明な点が多く、後集10巻の中には、[[明]]代の遺文を蒐集した部分が少なからず含まれるとされる。