「福岡空港」の版間の差分

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→‎板付基地・板付飛行場としての歴史: 1957年(昭和32年)8月1日 の記事について若干の補足。
→‎板付基地・板付飛行場としての歴史: 1961年と1962年の民間航空幹線航空路に関する記述を追加。
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*1961年(昭和36年)4月1日 - 全日本空輸株式会社が福岡-岩国、福岡-宮崎、福岡-鹿児島、福岡-大村間の定期運行を開始<ref name=":16" />。
*1961年(昭和36年)4月5日 - 筑紫郡大野町字中村でジェット軍用機から補助タンクと模擬弾が落下し農作物に被害<ref name=":3" />。
* 1961年(昭和36年)8月 - 当時の民間国内幹線は東京-大阪-福岡が日本航空により3往復/日が運行されていた(使用機材はDC-4)<ref name=":17">航空技術、日本航空技術協会、1962年11月、P3-8、「航空白書:民間航空の現況」、航空局</ref>。
* 1961年(昭和36年)8月15日 - 離陸中の[[F-102 (戦闘機)|F102]]が飛行場北端で炎上<ref name=":10" />。
*1961年(昭和36年)9月14日 - 志賀島の船だまり西側防波堤にF100が墜落。排砂管や電線に被害<ref name=":10" />。
* 1961年(昭和36年)10月 - 日本航空のジェット機 ([[コンベア880]]) が板付へ初乗り入れ<ref name=":3" />。
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* 1962年(昭和37年)2月25日 - 軍用機の衝撃音により九大医学部耳鼻咽喉科の窓ガラス百数十枚が破損<ref name=":10" />。
* 1962年(昭和37年)7月25日 - 国鉄吉塚駅構内に模擬爆弾が落下<ref name=":10" />。
*1962年(昭和37年)8月 - 当時の民間航空幹線は、東京-大阪-福岡が日本航空により6往復/日が運行されていた(DC-4 での5往復とDC-6Bでの1往復)、東京-福岡が日本航空により3往復/日が運行されていた(DC-4 での1往復とDC-6Bでの1往復とCV-880での1往復)<ref name=":17" />。
* 1963年(昭和38年)1月18日 - 離陸直後のF100がコースをはずれ、空港ターミナル前のエプロンに墜落、爆発。負傷1名。事務所等に被害<ref name=":10" />。
* 1963年(昭和38年)5月12日 - 在日米空軍が[[F-105 (戦闘機)|F-105]]を配備。沖縄から14機到着<ref name=":3" /><ref name=":6" />。この頃、常駐米軍機数が最大となる<ref name=":3" />。昭和20年から38年までに、板付基地およびその周辺で発生した米軍機による墜落及び炎上事故 30件、不時着 10件、ヘリコプター無人機墜落不時着 3件、模擬爆弾落下 11件、補助タンク落下 11件、機関銃弾及びロケット弾誤射落下 6件、死亡 19名、負傷 14名などおびただしい数の事故が発生<ref>「板付基地問題宣言・決議集」、板付基地移転推進協議会、1965、福岡防衛施設局 資料による。</ref>。