「郭泰源」の版間の差分

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{{by|1988年}}には、球が見やすく速球主体の投手が不利とされたデーゲーム<ref name="base_19880704_22" />で連勝を重ねるなど、来日3年目の{{by|1987年}}頃から変化球をうまく使う投球スタイルを確立した<ref name="Number_19911120_58" />。逆に変化するシュートを持つために打者はスライダーに対して踏み込みにくくなり、これに加えて[[カーブ_(球種)|カーブ]]や[[フォークボール]]などの緩い球も有効に使っていた<ref name="base_20080623_38" />。
 
=== 調整方法ローテーション ===
1980年代、中4日もしくは5日の先発ローテーションが一般化していた中、郭は[[村田兆治]]とともに中6日[[先発ローテーション|ローテーション]]の先駆的な存在である。
当時の主力投手としては珍しく200イニング以上投げた年がなく、故障の多さから「[[イタイイタイ病]]」と揶揄されるほどであった<ref name="base_19880905_23" /><ref>[http://baseball.professional-view.com/blog/2016/03/23/post-3835/]</ref>。肩やヒジの負担を抑えるため中6日ないし5日での先発を基本とし<ref name="base_19900205_37" />、登板翌日は軽く汗を流し2日目もランニング程度、3日目はキャッチボールで4、5日目に80%程度の力で60-70球を投げ、6日目は汗を流す程度で翌日の登板に備える、という調整を行なっていた<ref name="base_19880704_23" />。
 
当時の主力投手としては珍しく200イニング以上投げた年がなく、故障の多さから「[[イタイイタイ病]]」と揶揄されるほどであった<ref name="base_19880905_23" /><ref>[http://baseball.professional-view.com/blog/2016/03/23/post-3835/]</ref>。肩やヒジの負担を抑えるため中6日ないし、短くても5日での先発を基本とし<ref name="base_19900205_37" />、登板翌日は軽く汗を流し2日目もランニング程度、3日目はキャッチボールで4、5日目に80%程度の力で60-70球を投げ、6日目は汗を流す程度で翌日の登板に備える、という調整を行なっていた<ref name="base_19880704_23" />。
 
== 台湾人選手として ==