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芸能人として無気力だった坂上は準レギュラーとして出演していた[[1994年]]のクイズ番組『[[クイズ!年の差なんて]]』で司会の[[桂文枝 (6代目)|桂三枝]]から、「芸能人はお笑いをとって、ナンボでっせ」とアドバイスを受けたが、当時の坂上はそれをまともに受け止めずに無視した。後年にブレークした坂上は三枝に対して、当時のことを詫びて謝罪した<ref>[http://sappoko.com/archives/29024 【坂上忍が20年ぶりに謝罪したい超大物「K」は桂三枝(桂文枝)】]</ref>。共演者だった[[藤村俊二]]からは逆に、「今の(まま)でいいんだよ、無理だけはしちゃダメなんだよ」との助言もあった<ref>[http://www.rbbtoday.com/article/2017/02/02/149032.html 坂上忍、故・藤村俊二さんからのひとこと「今のままでいいんだよ」に感謝を語る] - RBB TODAY、2017年2月2日</ref>。『[[CLUB紳助]]』を視聴していた際、司会の[[島田紳助]]の「番組に出てただ座っているヤツが許せへん。出たくても出れないヤツがいっぱいおるのに」という言葉に衝撃を受け、その後バラエティ番組の出演機会は積極的に話すようにしていったという<ref name="shinsuke" /><ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170215-OHT1T50199.html 坂上忍がバラエティー番組でブレークするきっかけは島田紳助さんの言葉] - スポーツ報知、2017年2月15日</ref>。
 
[[1998年]]の舞台「[[おもろい女 (テレビドラマ)#舞台|おもろい女]]」に出演した際、演出を担当した喜劇役者の[[三木のり平]]から、人生に大きな影響を受けたという<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/03/05/kiji/20180305s00041000236000c.html 坂上忍、芝居の厳しさ教えてくれた喜劇役者に感謝「初めて現場に行きたくないと思った」] - スポニチ、2018年3月5日</ref>。
 
『バイキング』をきっかけに、[[小仲正重]]が指揮する多数の番組でMCを務めるようになる。司会(月曜)のオファーが2013年12月頃に来た際に坂上は迷ったが、その頃対談した[[大竹まこと]]の「俺たちはその時呼ばれたところが自分の居場所になるんだよ」との言葉で、引き受ける決断をしたという<ref name="shinsuke">[http://news.livedoor.com/article/detail/8728413/ 坂上忍が「バイキング」司会のオファーを受ける決断の裏には何があったのか? 10代、20代の赤面過去と坂上忍を変えた島田紳助の言葉を明かす] - ライブドアニュース、2014年4月12日</ref>(競艇で大負けしたことも理由の一つに挙げている<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/8784451/ 坂上忍が 『バイキング』月曜MCのオファーを受けた本当の理由は「競艇」だった?] - ライブドアニュース(週プレNEWS)2014年4月29日</ref>)。