「ヘロドトス」の版間の差分

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{{quotation|かくして往古の状況は、私の究明したところでは以上のようなものであったが、しかし証拠の各々を次々に信じることは困難である。それというのも、自国のことであっても、過去の事件となると、その風説を人々は遠国の場合と同様に、無批判に受け容れあうものだからである。(中略)真相の究明(ゼーテーシス)は多くの人々にとってかくも安易なものであって、むしろ俗説に走りやすいのである。<br/>
(中略)そして決して詩人たちが事件について誇張して賛美しているものとか、物語的史家たちが真相よりも耳に訴えることを目指して述作したものの方を信じてはならない。これらの史家の物語ることは検証不可能であり、その大部分は時間の経過故に物語的要素に圧倒されており、信じがたいのである。<br/>
(中略)他方、戦争中に為されたことの事実については、偶然に出会った人から聞いたとおりに、また自分の思われたとおりに、記述すべきではなく、自分が遭遇して目撃した場合でも、また他人から聞いた場合でも、その各々について可能な限り厳密に検討した上で書くべきだと考えた。ところが、それぞれの事件に遭遇した人々でも、同一の事件について同一のことを語らず、各人の両者(引用注:アテナイとスパルタ)いずれかに対する好意や記憶の程度によって相違したから、事実の確認には苦労を重ねた。それゆえ本書は物語めいていないので、恐らく聴いて余り面白くないと感じられるであろう。(中略)これは一時の聴衆の喝采を争うためではなく、永遠の財産として書きまとめられたものである。
-トゥキュディデス『歴史』巻1§20-23、藤縄訳<ref name="藤縄訳pp22_24">[[#トゥキュディデス 2000|『歴史』(トゥキュディデス)]], 巻1§20-23</ref>。}}