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'''フェルディナント・ケラー'''({{lang-de-short|Ferdinand Keller}}、[[1842年]][[8月2日]] - [[1922年]][[7月8日]])は[[ドイツ]]の歴史画、[[象徴主義]]派の画家。
 
== 生涯 ==
フェルディナント・ケラーは、父がアマチュア油絵画家、兄が画家でイラストレーター、叔父が画家というアーティスト一家に育った。彼は[[カールスルーエ]]で初等教育を受け後、1857年に家族と共に[[ブラジル]]へ移住した。そこで1862年まで、熱帯の豊かな自然の森を熱心にスケッチして過ごした。1863年にはカールスルーエに戻り美術アカデミーの[[ヨハン・ヴィルヘルム・シルマー]]の下で風景画の、[[ハンス・カノン]]の下で人物画の教育を受けた。1863年から1867年には[[ローマ]]に留学した。そして1867年の"フェリペ2世の死"で最初の成功を収めた。その後1868年まで[[スイス]]、[[フランス]]を訪れた。その後1873年から1913年迄にカールスルーエの美術アカデミーで教授を務めた。
 
== 作品 ==