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=== イスラーム以前 ===
[[ファイル:Mecca-1850.jpg|thumb|250px|1850年頃のメッカ全景図]]
メッカの町は古くより存在し、[[2世紀]]に書かれた[[クラウディオス・プトレマイオス]]の「[[地理学 (プトレマイオス)|地理学]]」にはマコラバの名ですでに記載がある<ref>佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 pp.129-130</ref>。このマコラバという名称の由来は神殿を意味するミクラーブという語であるとされており、このころから既にメッカは[[カアバ神殿]]の置かれた聖域であったと考えられている<ref name="kosugi">{{Cite book|和書|author=小杉泰|title=『クルアーン』語りかけるイスラーム|year=2009|pages=115-118|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-028297-0}}</ref>。メッカはジュルフム族が聖地の守護者として支配していたが、4世紀後半には[[イエメン]]から移住してきたフザーア族がメッカを侵攻して支配権を奪取した。5世紀末には、メッカ周辺で遊牧生活を行っていた[[クライシュ族]]のクサイイがフザーハ族首長の娘婿となり、フザーハ族に代わりクライシュ族がメッカの支配権を握るようになった<ref name="takahashi">{{Cite web|url=http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/saudi_general/tribes_of_peninsulal.html|title=「沙漠の半島」の多様な部族|author=高橋俊二|publisher=財団法人中東協力センター|date=2013-05-11|accessdate=2014-03-16}}</ref><ref name="ohta">{{Cite web|url=http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~n16260/archive/hsjf/doc/preoota05.html|title=イスラームの誕生と拡大|author=太田敬子|publisher=北海道大学大学院文学研究科|accessdate=2014-03-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140316135421/http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~n16260/archive/hsjf/doc/preoota05.html|archivedate=2014年3月16日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。その後クライシュ族は、インド洋航路によってアジアからイエメンへと運ばれる香辛料などをシリア、地中海地方へと運ぶ交易路を開拓して大規模な[[キャラバン]]による遠隔地交易を始め、隊商路の安全を保つためにアラビア半島各地の諸勢力との間に盟約を結んでいき、メッカを中心とした緩やかな部族連合が形成されていった<ref name="kosugi"/><ref name="ohta"/>。ムハンマドが生まれた[[570年]]頃にはおよそ一万人の定住者人口を持ち、まだ中東の都市のなかでは小規模であったが、商業都市として、また広域信仰圏の中心として急速に発展しつつあった<ref>{{Cite book|和書
|author = 後藤明
|authorlink = 後藤明 (歴史学者)