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*シナリオの書き方は、月刊シナリオで書き方を覚え、[[倉本聰]]のシナリオ集を読み、そっくり文体を真似して勉強することから始めた。
*実際にプロになろうとしたきっかけは、第9回の[[日本映画製作者連盟#城戸賞|城戸賞]]に佳作入選したことと、[[鶴橋康夫]]と[[奥山和由]]との出会い。
*遭遇したトラブルとしては多い<ref name="FB5" >{{Cite journal|和書|author=FB編集同人編|title=書評のような映画評 野沢尚 『映画館に日本映画があった頃』(1995年2月、キネマ旬報社) 文・重政隆文|journal=FB 映画研究誌|issue=1995年 第5号|publisher=行路社|pages=232-238}}</ref>。『その男、凶暴につき』と『ラッフルズホテル』製作時に脚本を現場で大きく変えられたことがある。[[北野武]]の『[[その男、凶暴につき]]』は完成された映画が傑作だったので許しているが(ただし、2004年に『烈火の月』として自身で改稿前の脚本を元に小説化した)、[[村上龍]]に直された『ラッフルズホテル』は日本映画史上の汚点のような大駄作にされたと述べていた。[[1994年]]の[[松竹]]『[[RAMPO]]』、[[東映]]『[[集団左遷]]』でも[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と揉めている<ref name="FB5" />。『集団左遷』では東映批判を自身が連載の持っていた『[[シナリオ (雑誌)|シナリオ]]』で行い、連載を降ろされたといわれる<ref name="FB5" />
*父親は、[[京都大学]]名誉教授で[[京都大学霊長類研究所]]の所長も務めた生物学者・野澤謙。作品中には父親をモデルとした学者が登場する。叔父にフランス文学者で元都立大教授の[[野沢協]]、祖父の兄弟に京都学派の哲学者の[[田辺元]]がいる。
*[[TBSテレビ|TBS]]のプロデューサー[[貴島誠一郎]]とは、『[[この愛に生きて]]』([[1994年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ系]])、『[[恋人よ (1995年のテレビドラマ)|恋人よ]]』([[1995年]]、フジテレビ系)が[[長男の嫁|『長男の嫁』シリーズ]]と競合するなどライバル関係であったため、「彼からは絶対声がかからない」と思っていたという。だが、逆に貴島は以前から野沢に注目していたといい、後に彼の依頼で脚本を執筆した『[[青い鳥 (テレビドラマ)|青い鳥]]』([[1997年]])が放送された。
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*[[島耕作|課長島耕作]]([[東宝]]、1992年) - 原作:[[弘兼憲史]]、監督:[[根岸吉太郎]]
*[[ラストソング (映画)|ラストソング]](フジテレビ/東宝、1994年)
*[[集団左遷]]([[東映]]、1994年) - 原作:[[江波戸哲夫]]、監督:[[梶間俊一]]
*[[私たちが好きだったこと]](東映、1997年) - 原作:[[宮本輝]]、監督:[[松岡錠司]]
*[[不夜城 (小説)|不夜城 SLEEPLESS TOWN]](「不夜城」製作委員会、1998年) - 原作:[[馳星周]]、監督:[[李志毅]]