「五条橋下」の版間の差分

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== 沿革 ==
五条橋下は元は[[高瀬川 (京都府)|高瀬川]]近くの畑地で[[宝暦]]8年([[1758年]])、宅地開発され、[[宝暦]]11年2月([[1761年]])、[[上七軒]]より茶屋株(茶屋営業許可証)を借受、花街を始めた{{Sfn|亡くなった京の廓 上|1958|p=44}}。南京極町、平居町、都市町を中心に南側に存在した[[七条新地]]と共に発展した。場所が[[五条大橋]]の近くであった為、「五条橋下」と呼ばれ、また「六条新地」と呼ばれた{{Sfn|亡くなった京の廓 上|1958|p=44}}
 
[[明治]]に入り、[[七条通]]に近かった七条新地が北上し、五条橋下は[[大正]]初期に合併され、[[1958年]]([[昭和]]33年)、[[売春防止法]]施行まで遊廓として営業した。平居町には三階建ての貸座敷が立ち並んでいた{{Sfn|亡くなった京の廓 上|1958|p=45}}
 
== 出典 ==
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*田中緑紅『亡くなった京の花街』京を語る会、1958年
*京を語る会(編)『京都遊廓見聞録』京を語る会、1993年
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
{{京の花街}}