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[[ドイツ統一]]後、旧国有企業の崩壊と住民の[[西ドイツ]]への移住により、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]では多くの建物が空になった。その一部はスコッターによって占領された。ベルリンでは現在合法化されたスクワットは、[[ミッテ区 (ベルリン)|ミッテ区]]や[[プレンツラウアー・ベルク]]のような市の中心地域にあった。統一前のベルリンのスクワットは旧西ベルリンのクロイツベルクに多かった。スコッターはinstandbesetzen(改装)とbesetzen(占拠)という用語で知られるようになった。
 
2001年4月、スコッターは[[エアフルト|エルフルト]]の企業Topf & Söhne(<small>[[:en:Topf_and_Sons|英語版]]</small>)元工場工場へと移り、2009年4月に警察に強制退去されるまでの8年間、そこを占拠した。かつて同社は[[ナチス・ドイツ|ナチス]]の[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]の焼却棟を製造していた。スコッターは、会社の歴史に注意を喚起するカルチャープログラムを運営した。占拠は「Das Besetzte Haus(占有された家)」と呼ばれ、その時代ドイツ左派の最も有名な行動のひとつだった。2012年、占拠に関連して「Topf&Söhne - Besetzung auf einemTäterort(Topf&Söhne - 犯罪現場の占拠)」と名付けられた書籍が出版された<ref>Meyerbeer, Karl; Späth, Pascal (eds) (2012) ''Topf & Söhne - Besetzung auf einem Täterort''. Heidelberg: Graswurzel-Verlag</ref>。
 
違法であるにもかかわらず、多くの大都市にはスクワットが存在する。有名な例としては、[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]の「Au」、[[ハンブルク|ハンブルグ]]の「Hafenstraße」と「Rote Flora」などがある。2009年11月、[[ベルリン]]の最後のオープンスクワット「Brunnenstraße183」が退去した。またメルセデスベンツのテストコースに抗議したアナトピア(Anatopia)プロジェクトなど、キャンペーン目的のためにスクワットを行うこともある。