「蕭昭業」の版間の差分

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蕭昭業は表立っては外見も美しくまた情も厚く見え、武帝や父にも寵愛されていたが、実は裏表のある性格で、自分の屋敷に帰った途端によからぬ取り巻きたちと享楽にふけり、父や祖父が病気になると表では涙しながら一歩外に出ると酒宴を開き、あろうことか早く死ぬよう呪詛まで行うというありさまだった。即位後も恩賞を乱発して奢侈に耽溺し、僅か1年ほどで国庫の蓄えをほとんど空にした。また、武帝の寵姫や皇后と淫蕩の限りを尽くした。このような調子で君主としての責務を果たすことがなかったため、暴君か[[暗君]]という評価が一般的になっている。蕭子良が間もなく死んで以降、政治の実権は蕭鸞が握った。蕭鸞も表では諫めつつ、裏では蕭昭業の享楽を煽っていた。
 
在位1年にして、蕭鸞の手により殺された。その死は、後宮で愛妾と過ごしているところを襲われる、というものだったという。死後に母親である[[王宝明|皇太后]]の手により皇位を廃され、鬱林王に落とされた。
 
{{先代次代|[[斉 (南朝)|斉]]の第3代[[中国帝王一覧|皇帝]]|493年 - 494年|[[武帝 (南朝斉)|武帝]]|[[蕭昭文|廃帝海陵王]]}}