「仮名垣魯文」の版間の差分

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筆名は初め「英(はなぶさ)」または「鈍亭」としていたが、1873年(明治6年)に仮名垣魯文とした。師の魯と文の字を取って「魯文」、「仮名垣」は、[[柳亭種彦]]の『正本製』三編、『当年積雪白標紙』の登場人物、赤本入道仮名垣による([[歌川豊国]]による入道の挿絵と魯文の顔とが似ていたため)。[[山々亭有人]]たちと[[三題噺]]のグループ「粋狂連」を結成し、作品でも[[落語]]から取ってきた笑いを使っている。
 
魯文の門下として、伊東橋塘・[[花笠文京]]・雑賀柳香・若菜胡蝶園・[[野崎左文]]・[[斎藤緑雨]]などがあげられる<ref>{{Cite book|和書|author=柳田泉|year=1959|title=啓蒙期文学|publisher=岩波書店|pages=68p}}</ref>。
 
===明治期===