「世説新語」の版間の差分

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成立の背景としては、後漢末期から行われるようになった人物評論([[月旦評]])が魏晋期の貴族社交界でも継承され、過去の人物に関する伝説を一書にまとめようとする機運が高まったことが挙げられよう。とりわけ中心的な主題となったのは「[[清談]]」である。いわゆる「[[竹林の七賢]]」に代表される[[老荘思想]]に基づいた哲学的談論が、当時の貴族サロンでもてはやされたことを裏付ける資料ともなっている。
 
『世説新語』が編纂されてから一世紀も経たないうちに、[[梁 (南朝)|梁]]の[[劉孝標|劉孝標(劉峻)]]が注を付けている。劉孝標の注は、記述を補足し不明な字義を解説するだけではなく、本文中の誤りを訂正したり、また、現代では既に散逸した書物を多く引用したりしており、[[裴松之]]の『[[三国志_ (歴史書)|三国志]]』注、[[レキ道元|酈道元]]の『[[水経注]]』などと並び、六朝期の名注として高く評価されている。
 
== 日本への影響 ==
*第十   規箴篇(人物の良し悪しの判断に優れた人物の話)
*第十一  捷悟篇(問題に対する対応力に優れた人物の話)
*第十二  夙篇(大人顔負けの教養を持った子供の話)
*第十三  豪爽篇(豪快でさわやかなすっきりした性格を持った人物の話)
*第十四  容止篇(美男子の話)
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