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**[[安房勝山藩]]、藩士渡辺隆之助を派遣、東岸のシスカ([[敷香郡]][[敷香町]])に漁場を開設。東岸でフヌプより北に居住するアイヌは60名で、[[多来加湾]]岸は東岸におけるアイヌ居住地北限であるが、特に[[多来加湖]]周辺ではニヴフやウィルタと混住していた。
**勤番所、クシュンコタン、シラヌシ、西トンナイ([[真岡郡]][[真岡町]])、ワーレ(栄浜郡白縫村輪荒)、クシュンナイの5ケ所となる。
* [[1863年]]([[文久]]3年) - 亜庭湾岸周辺の警固は仙台・秋田・庄内の3藩となる。このほか、漁場の番人の武装化もおこなった
* [[1865年]] - [[岡本監輔]]が、樺太最北端ガオト岬(北緯55度)に至り、「大日本領」と記した標柱を建てる。
* [[1867年]](慶応3年)