「レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分

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=== トスカーナ大公時代 ===
[[1765年]]に父フランツ1世が死去した際、皇帝位は長兄の[[ヨーゼフ2世]]が継承した。一方、[[トスカーナ大公国]]はフランツを君主(大公)としていたが帝国の領域に含まれず、また他の[[ハプスブルク帝国|ハプスブルク家領]]とは独立して統治することになっており、ヨーゼフとは別に継嗣を立てていた。元は次兄の[[カール・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ (1745-1761)|カール・ヨーゼフ]]が継承する予定であったが、34年前の[[1761年]]に早世したため、代わってレオポルトが大公位を継承した。
 
[[1770年]]に母[[マリア・テレジア]]の[[摂政]]が終わると、レオポルトはトスカーナにおいて[[啓蒙主義|啓蒙的]]改革を行った。[[チェーザレ・ベッカリーア]]の『[[犯罪と刑罰]]』の死刑廃止論に影響を受け、1769年に死刑の執行を停止し、[[1786年]]にはヨーロッパの国として初めて、死刑そのものを完全に廃止している。