「小村壽太郎」の版間の差分

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m 恩を着せる→恩に着せる
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ポーツマスに向けて出発するとき、小村は新橋駅で戦勝を祝う歓呼の人垣に囲まれて見送る桂に「帰って来る時には、人気は丸で正反対でしょう」と言っている。大国ロシアは必ずしもこの戦争に負けたとは考えていないことを小村はよく理解しており、そのため交渉は難航するであろうこと、そしてロシアから引き出せる代償も一般の日本国民が期待するものからは程遠いものになるだろうことを最初から予見していたのである<ref name=逸話大事典 /><ref name=ポーツマス>金山宣夫 『小村寿太郎とポーツマス』</ref>。
 
[[ロイター]]通信や『[[タイムズ]]』紙が日本寄りのニュースを配信していたことから1905年(明治38年)のアメリカでは日本びいきの世論が醸成されていた。そこで手練手管の政治家[[セルゲイ・ヴィッテ|ヴィッテ]]は、日露間で秘密とすることで合意している交渉の途中経過をアメリカの新聞記者に漏らして恩着せるという瀬戸際の世論工作を繰り広げたが、律儀な小村は最後まで合意を守って口を閉ざしたままだった。<!--しかし、裏技を行使しても国益を守るべきとする評価も現在では存在する。--><!--POV-->
 
ポーツマス条約が結ばれた深夜、ホテルの一室から妙な泣き声が聞こえてくるのを不審に思った警備員がその部屋を訪ねると、泣きじゃくっていたのは誰あろう小村全権その人だった。小村にとってこの条約に調印することはそれほど苦渋の決断だったのである。予想通り、帰国した小村を待ち構えていたのは[[右翼団体]]に煽られた怒り狂う群衆だった。新橋駅で散々に罵声を浴びせられて泣き崩れた小村を、出迎えた首相の桂と海相の[[山本権兵衛]]は両脇を挟むようして歩き、爆弾でも投げつけられたら共倒れの覚悟で総理官邸まで彼を護衛している。その後も[[日比谷焼討事件]]や小村邸への投石などの騒乱は収まらず、妻のマチは精神的に追い詰められ、小村は家族と別居することを余儀なくされた。