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'''ベネズエラ・ボリバル共和国'''<ref name="Bolivar">国名の由来となった人物は「シモン・ボリバル」、「シモン・ボリーバル」の表記がともに広く用いられているが、国名の表記は「ベネズエラ・ボリバル共和国」がほぼ定着している。ただし、大久保仁奈「[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/05_3_1.pdf ベネズエラ・チャベス政権を読み解くための鍵 ―ボリーバル革命の一考察―]」(『[[外務省]]調査[[月報]]』[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/bn_2005.html 2005年度]/No.3、2006年1月15日)のように、「ベネズエラ・ボリーバル共和国」とする例もある。</ref>(ベネズエラ・ボリバルきょうわこく、{{Lang-es|República Bolivariana de Venezuela}}:英語名 Bolivarian Republic of Venezuela)、通称'''ベネズエラ'''は、[[南アメリカ]]北部に位置する[[連邦]][[共和制]][[国家]]である。東に[[ガイアナ]]、西に[[コロンビア]]、南に[[ブラジル]]と国境を接し、北は[[カリブ海]]、[[大西洋]]に面する。首都は[[カラカス]]。コロンビアと共に北[[アンデス山脈|アンデス]]の国家であるが、自らをカリブ海世界の一員であると捉えることも多い。ベネズエラ海岸の向こうには、[[オランダ王国]]の[[ABC諸島]]([[クラサオ]]など)、[[トリニダード・トバゴ]]といった[[カリブ海]]諸国が存在する。ガイアナとは、現在ガイアナ領の[[グアヤナ・エセキバ]]を巡って、19世紀から領土問題を抱えている。[[南アメリカ大陸]]でも指折りの自然の宝庫として知られている。また[[原油]]埋蔵量は2977億バレルと世界一。[[世界幸福度報告]]では2015年には23位<ref>[http://worldhappiness.report/ed/2015/ World Happiness Report 2015 & World Happiness Report] </ref>、2016年の44位と比較的上位に位置していたが<ref>[http://worldhappiness.report/ed/2016/ World Happiness Report 2016 & World Happiness Report] </ref>、2017年には82位と順位を低下させている<ref>[http://worldhappiness.report/ed/2017/ World Happiness Report 2017 & World Happiness Report] </ref>。
 
== 国名 ==
=== スペイン植民地時代 ===
{{See also|スペインによるアメリカ大陸の植民地化|{{仮リンク|スペインによるベネズエラの征服|es|Conquista de Venezuela}}|{{仮リンク|マラカパナの戦い|es|Batalla de Maracapana}}}}
[[ファイル:Pan de Azucar6.JPG|thumb|[[スペイン人]]に立ち向かった[[インディオ]]の首長、[[グアイカイプーロ]]の像。[[ウゴ・チャベス]][[政権]]によって大々的に再評価がなされた。]]
 
ヨーロッパ人が今のベネズエラと接触するのは[[1498年]]の[[クリストファー・コロンブス]]による第3回航海が初めてである。翌[[1499年]]にはスペイン人の{{仮リンク|アロンソ・デ・オヘダ|es|Alonso de Ojeda|en|Alonso de Ojeda}}と[[イタリア人]]の[[アメリゴ・ヴェスプッチ]]が内陸部を探検している。その後スペイン人によって1526年に[[クマナ]]が建設され、先住民の首長[[グアイカイプーロ]]との戦いの最中の1567年に{{仮リンク|ディエゴ・デ・ロサーダ|es|Diego de Losada|en|Diego de Losada}}によって[[カラカス|サンティアゴ・デ・レオン・デ・カラカス]]が建設された。植民地化当初は[[ヌエバ・エスパーニャ副王領]]の一部として、[[イスパニョーラ島]]の[[サント・ドミンゴ]]の[[アウディエンシア]]に所属していたが、1739年には[[ヌエバ・グラナダ副王領]]の一部となり、[[1777年]]には{{仮リンク|ベネズエラ総督領|es|Capitanía General de Venezuela|en|Captaincy General of Venezuela}}に昇格した。植民地時代のベネズエラ経済は[[プランテーション]]制農業からの[[カカオ]]輸出に依存しており、[[クリオーリョ]]支配層は更なる[[自由貿易]]を望むようになった。ベネズエラは[[アルゼンチン]]と共に[[スペイン]][[植民地]]体制の辺境だったために独立に有利な状況が整い、やがて後の[[ラテンアメリカ]]独立運動の主導的立場を担うことになった。
 
=== 独立戦争 ===
[[File:Entrada Miraflores.JPG|thumb|ベネズエラ大統領府、 ミラフローレス宮殿。]]
 
[[大統領]]を[[元首|国家元首]]とする[[連邦]][[共和制]][[国家]]である。[[1999年]]12月に新憲法が制定され、大統領の権限が強化、任期も5年から6年に延長された。選出は、国民による[[普通選挙]]によって行われる。首相職は存在せず、大統領自身が行政府の長として[[内閣]]を統率する。前回投票は、[[2006年]][[12月3日]]に行われ、[[ウゴ・チャベス]]大統領が再選した。
 
[[議会]]は[[スペイン語]]で''Asamblea Nacional''(アサンブレア・ナシオナル、すなわち'''国民議会''')と呼ばれ、1999年[[憲法]]により[[両院制]]から[[一院制]]に変わった。全165議席で、うち3議席は[[先住民]]に保障されている。議員の任期は5年で、国民による普通選挙([[小選挙区比例代表併用制]])で選出される。2007年に改憲を巡る国民投票が行われたが、否決された。その後、大統領の再選制限を撤廃した2009年憲法が成立している。
かつて「[[ラテンアメリカ]]には独裁か[[無政府状態]]しかないのではないだろうか」とシモン・ボリバルが危惧したように、ベネズエラでは1830年から1955年まで一世紀以上に渡り、カウディーリョや軍人による[[専制政治]]と[[内戦]]が続いた。[[クーデター]]が起こりやすい国でもあり、一時期ほどの頻度ではないものの、近年では{{仮リンク|ベネズエラクーデター (1992年)|en|1992 Venezuelan coup d'état attempts|label=1992年}}と{{仮リンク|ベネズエラクーデター (2002年)|en|2002 Venezuelan coup d'état attempt|label=2002年のクーデター未遂事件}}が起こっている。
 
1959年の[[ロムロ・ベタンクール]]政権以降、[[石油]]収入を背景に[[ベネデモクラシア]]と呼ばれた[[民主化]]が[[富裕層]]と中間層を主体にして進み、1941年に成立した[[国民行動党 (ベネズエラ)|国民行動党]]と、1946年に国民主義行動党が改編された[[キリスト教社会党]](COPEI)との[[二大政党制]]が確立した<ref name=sakaguchi/>。ベネズエラの二大政党制は機能し、ラテンアメリカ諸国がクーデターによる[[軍事政権]]の成立に特徴づけられた1960年代から1980年代までの間もベネズエラは[[コスタリカ]]と共に、ラテンアメリカでは例外的な[[民主主義]]の維持された国家となったが<ref name=sakaguchi/>、この二大政党制は二大政党の枠組みに収まらなかった[[ベネズエラ共産党|共産党]]などを政治から排除する体制でもあったために行き詰まりを迎え<ref name=sakaguchi/>、民主化の中でも埋まらなかった経済的な格差や1980年代から続く経済の衰退、[[カラカス]][[暴動]]に対する強権的な対応などから生まれた[[政治不信]]を背景に、貧困層に対してポプリスモ的な政策に訴えた1992年のクーデター未遂事件の主導者であったウゴ・チャベス元中佐が1999年に当選した<ref name=sakaguchi/>。
 
[[1999年]]に発足したウゴ・チャベス政権は、内政では保健と[[教育]]を最重要視する[[政策]]をとっている。低所得層が住む地区での無料診療所の開設、[[学校]]の建設、非識字者や学校中退者のための補習プログラムなどがその例である。貧困層重視の政策は、強引な政治手法とあいまって、富裕層、[[中産階級]]、以前の有力政党と結ぶ[[労働組合]]から強い反発を受けた。[[2002年]]4月には[[ストライキ]]に対して軍が非常措置を執るよう命じたチャベスに軍部が反対、チャベスの辞任を発表した({{仮リンク|ベネズエラクーデター (2002年)|en|2002 Venezuelan coup d'état attempts}})。チャベスは後に自らは辞任していないと宣言している。チャベスは軍施設に拘禁されたが、暫定大統領となった{{仮リンク|ペドロ・カルモナ|en|Pedro Carmona}}が議会解散を命じたために「民主主義の保護者」を自認する軍が反発し、またチャベス支持派の大規模なデモ活動があったためにカルモナは辞任、チャベスが復権した<ref>坂口保紀[http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Latin/pdf/190206.pdf ベネズエラ4月の政変] - ラテンアメリカ・レポートvol.19</ref>。12月から翌[[2003年]]2月にかけては石油産業をはじめとする各産業界でチャベス辞任を求める[[ゼネラル・ストライキ]]が起こり、ベネズエラ経済は大打撃を受けた。スト終結後1年間は経済後退が著しかったが、続く[[2004年]]には[[原油価格]]上昇もあいまって経済が急速に回復し、政権支持率もそれにともなって上昇した。そして8月15日に大統領リコールの国民投票が58%対42%で否決されると、政情は一応の安定をみた。しかし野党は国民投票と以後の選挙結果を認めず、[[2005年]]12月の議会選挙では主要[[野党]]が選挙をボイコットした。[[2006年]]12月3日の大統領選挙でチャベスは63%の得票で3度目の当選を果たし、今度は野党候補も結果を承認した。
[[2007年]][[12月2日]]実施の[[社会主義]]体制への移行と、大統領再選制限の撤廃や大統領権限の強化を定める憲法改正の[[国民投票]]で、ベネズエラ中央選管は、反対票が約51%と賛成票をわずかに上回り、否決されたと暫定結果を発表した。[[2009年]][[2月15日]]に再度国民投票を実施、大統領の無制限再選が可能となる憲法改正が賛成多数で承認された<ref name="jijicom20090216a">{{cite news |title=大統領の無制限再選を承認=チャベス氏、国民投票で勝利−ベネズエラ |newspaper=Yahoo!ニュース |date=2009-02-16 |url=http://www.afpbb.com/article/politics/2558439/3686336 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120718063243/http://www.afpbb.com/article/politics/2558439/3686336 |archivedate=2012年7月18日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。しかし、一連の国民投票の過程で国論の深刻な分裂が露呈し、チャベス大統領の手法や、終身大統領・独裁を狙っているという批判も起こっていた<ref>{{cite news |title=「チャベス独裁」に懸念強まる=社会の分断深化も−ベネズエラ |agency=時事通信 |newspaper=Yahoo!ニュース |date=2009-02-16 |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090216-00000093-jij-int |archiveurl=http://s01.megalodon.jp/2009-0216-1849-24/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090216-00000093-jij-int |archivedate=2009-02-16 }}</ref>。2013年3月5日にチャベス大統領はがんで死亡、後継者として[[ニコラス・マドゥロ]]副大統領を指名した。4月に行われた大統領選挙でマドゥロは任期は2019年1月10日までとする第54代大統領に就任した<ref>{{cite news |title=ベネズエラ・マドゥロ大統領が就任 |newspaper=[[読売新聞]] |date=2013-4-20 |url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130420-OYT1T00812.htm?from=ylist |accessdate=2013-4-21}}</ref>。
 
経済危機に有効な対策をとれないマドゥロと[[与党]][[ベネズエラ統一社会党]]への不信は高まり<ref>{{cite news |title=混乱続くベネズエラ、野党の総選挙大勝で新たな試練 - WSJ|newspaper=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]日本版 |date=2015-12-8 |url=http://jp.wsj.com/articles/SB12270577396625053624104581402993230476906 |accessdate=2016-5-17}}</ref>、2015年12月6日の議会選挙で反チャベス派選挙連合である[[民主統一会議]]が112議席を獲得して勝利し、ベネズエラ統一社会党は55議席に留まる敗北を喫した<ref>{{cite news |url= http://jp.reuters.com/article/venezuela-election-idJPKBN0TS0GY20151209|title= ベネズエラ大統領、選挙敗北受け内閣改造へ 政治犯釈放は拒否 |author= |work= [[ロイター通信]] |date= 2015年12月9日 |accessdate=2015年12月11日}}</ref>。
 
しかしマドゥロ政権は議会と激しく対立し、政権に近い最高裁が何度も議会の決議を無効とする判決を下していた<ref name="asahi20170331" />。[[2017年]][[3月29日]]には最高裁が議会の立法権を掌握すると決定されたが<ref name="asahi20170331" />、野党や国際社会の反発を受けて撤回に追い込まれている<ref name="nikkei20170402" />。
 
== 外交 ==
伝統的に[[親米]]路線をとってきたが、1999年の[[ウゴ・チャベス]][[政権]]成立以降は[[反米]]を基調としている。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]はベネズエラの[[人権]]状態などに強い批判を行い、2015年3月には政府関係者に対する[[経済制裁]]を行っている。ただし、ベネズエラにとってアメリカは現在も最大の貿易相手国であり、民間では強い関係性をもっている<ref name="外務省"/>。
 
チャベスはアメリカの影響力が強い[[米州機構]]に代わる[[南アメリカ|南米]]諸国の組織とし[[米州ボリバル同盟]]を設立し、南米諸国との関係性を強めていこうとしている<ref name="外務省">[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/venezuela/data.html ベネズエラ基礎データ | 外務省]</ref>。しかし非[[左翼|左派]]政権である南米諸国との関係も円満ではなく、2015年には[[コロンビア]]との間で大使召還が相互に行われるなど<ref>{{cite news |url= http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20150828000367|title= 関係悪化、大使を召還/ベネズエラとコロンビア |author= |work= [[四国新聞]] |date= 2015年8月28日 |accessdate=2017年4月2日}}</ref>、円滑なものとは言えない。また2016年の[[ブラジル]]で、[[ジルマ・ルセフ]][[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]]が弾劾された際には、[[ボリビア]]や[[エクアドル]]とともに大使を召還している<ref>{{cite news |url=http://www.sankei.com/world/news/160901/wor1609010028-n1.html|title= 中南米左派諸国が大使を召還 ルセフ氏弾劾に強く反発 |author= |work= [[産経新聞]] |date= 2016年9月1日|accessdate=2017年4月2日}}</ref>。またペルーの[[ペドロ・パブロ・クチンスキ]][[ペルーの大統領|大統領]]はベネズエラを激しく批判し、ベネズエラ側もこれに対して批判を行っている<ref>{{cite news |url=http://jp.reuters.com/article/venezuela-peru-idJPKBN16E0FG|title= ベネズエラ外相がペルー大統領を米の「犬」と批判、非難合戦続く |author= |work= [[ロイター]] |date= 2017年3月7日|accessdate=2017年4月2日}}</ref>。また2017年の最高裁による立法権掌握などは、米州機構などの国際社会から批判を受け、ペルーは大使召還を行うなど強い措置をとっている<ref name="nikkei20170402" />。また2017年の最高裁による立法権掌握などは、米州機構などの国際社会から批判を受け、ペルーは大使召還を行うなど強い措置をとっている<ref name="nikkei20170402" />。
 
近年はマドゥロ大統領が夫人とともに訪中して新たな融資を受けて中国軍の艦船も寄港するなど中国とさらに関係を強め<ref>{{cite news |last= |first= |title=Chinese hospital ship stops in turbulent Venezuela|publisher=NavyTimes |date=2018-09-22 |url=https://www.navytimes.com/news/your-navy/2018/09/22/chinese-hospital-ship-stops-in-turbulent-venezuela/|accessdate=2019-01-10}}</ref><ref>{{Cite web |date= 2018-09-18|url= https://hbol.jp/175053|title=「中国の植民地」化が次第に強くなっているベネズエラ。マドゥロ大統領が訪中 |publisher=ハーバービジネスオンライン |accessdate=2018-09-18}}</ref>、反米傾向を強めるトルコとの関係が密接になり、マドゥロ大統領とエルドアン大統領が会談し経済協力を取り付けている<ref>{{cite news |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38530530U8A201C1FF1000/|title= トルコ、ベネズエラに経済協力 対米けん制 |author= |work= [[日本経済新聞]] |date= 2018年12月24日|accessdate=2019年1月9日}}</ref>。さらに、ロシアも財政支援等を表明する等、積極関与しており<ref>{{cite news |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38657650X01C18A2000000/|title= ベネズエラ、ロシアから5600億円以上の支援 |author= |work= [[日本経済新聞]] |date= 2018年12月7日|accessdate=2019年1月9日}}</ref>、ロシア軍との軍事演習やロシア軍基地の設立も議題に上がっている等<ref>{{cite news |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3201421|title= ベネズエラ、ロシアから5600億円以上の支援 |author= |work= [[AFP通信]] |date= 2018年12月11日|accessdate=2019年1月9日}}</ref>、反欧米西側諸国との関係を強化している。
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