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[[ファイル:Maeɡamiziɨɨ.jpg|right|thumb|180px|none|お滝不動尊]]
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'''前神寺'''(まえがみじ)は、[[愛媛県]][[西条市]]州之内にある[[真言宗石鈇派]]総本山の[[寺院]]。石鈇山(いしづちさん)、金色院(こんじきいん)と号す。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[四国八十八箇所]][[霊場]]の第六十四番[[札所]]。[[日本七霊山]]の1つ、霊峰[[石鎚山]] (1982m) の麓に位置する。
 
ご本尊[[真言]]:おん あみりた ていぜい からうん
 
== 沿革 ==
役の行者([[役小角]]によって開かれた霊峰石鎚山 (1982m) の麓にあり、役小角が石鎚山の中腹[[修行]]積んするも挫けて下山しようとしたとき老人が現れ斧を砥石で磨いていて行者の問いに答えて曰く「之は磨いて針にするの」と、この言葉に行者は挫折してはならない「成せば成る」と自分に言い聞かせ励まされ再び行を続け、[[蔵王権現]]を感得し蔵王権現像を彫り開山した。後に病気平癒を[[祈願]]し[[成就]]した石仙が[[桓武天皇]]([[782年]]〜[[805年]])の病気平癒を[[祈願]]し[[成就]]したことによって、当地(標高1400mの[[石鎚神社]]中宮成就社のある場所)に[[七堂伽藍]]が建てられ金色院前神寺として開かれたと伝えられる。さらに『三教指帰』に[[空海]](弘法大師)自ら記されているように空海も若い時に修行をし、後年、巡錫している。また、[[文徳天皇]]、[[高倉天皇]]、[[後鳥羽天皇]]、[[順徳天皇]]、[[後醍醐天皇]]など多くの歴代[[天皇]]の[[信仰]]が厚かったことでも知られる。そして、山頂の弥山に存在する[[石鉄権現|石鈇山大権現]]の[[別当寺]]で、東の遥拝所でもあった
 
[[江戸時代]]には[[西条藩]]主である[[松平家]]の信仰も集め松平氏は[[東照宮]]をまつり、[[三葉葵]]の寺紋を許した。また、江戸時代初期には、札所としての便宜をはかり麓に出張所として里前神寺(現在の石鎚神社口之宮本社の場所)を設置し、本寺を奥前神寺と呼び区分するようになった。なお、奥前神寺から山頂弥山への登拝は、6月1日から3日の三日間しか許されていなかった<ref>寂本『四國徧禮霊場記』の里前神寺の項より</ref>。
後に[[空海]](弘法大師)も巡錫している。このとき空海は2度石鎚山を登ったといわれる。当寺は、[[横峰寺]]とともに山頂の弥山に存在する[[石鉄権現]]の[[別当寺]]にあたり、東側の遥拝所でもあった。
 
文政8年(1825)別当を名乗るようになっていた[[横峰寺]]と別当職の独占を争い幕府の裁定を受け、勝つことができたため、奥前神寺は常住社、里前神寺は前神寺と称するようになり本寺の機能も移されるようになった。
[[江戸時代]]には[[西条藩]]主である[[松平家]]の信仰も集め松平氏は[[東照宮]]をまつり、[[三葉葵]]の寺紋を許した。本寺は里前神寺と称されることもあるが、これは[[海抜]]1400mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分するためでもある。奥前神寺は本来、現在の成就社であったが、[[明治]]の[[神仏分離令]]により分離独立し、奥前神寺と里前神寺ともに[[石鎚神社]]となり、当寺は廃寺となる。その時、本尊と権現像と僅かの寺宝は持ち出し、その後、[[1878年]]([[明治]]11年)に現在地に里前神寺が再興され、さらに今宮道の最終地点に奥前神寺が再興され、さらにロープウエイ開通翌年に山上駅の上の現在地に奥前神寺が移転され現在に至る。
 
[[江戸時代]]には[[西条藩]]主である[[松平家]]の信仰も集め松平氏は[[東照宮]]をまつり、[[三葉葵]]の寺紋を許した。本寺は里前神寺と称されることもあるが、これは[[海抜]]1400mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分するためでもある。奥前神寺は本来、現在の成就社であったが、[[明治]]の[[神仏分離令]]により分離独立し常住社(奥前神寺前神寺(里前神寺ともに[[石鎚神社]]となり、当寺は廃寺となる。その時、本尊と権現像と僅かの寺宝は持ち出し、その後、[[1878年]]([[明治]]11年)に塔頭寺院の医王院のあった現在地にが再として復興され、1907年、前神寺の旧称に復す。さらに今宮道の最終地点に奥前神寺が再興され、さらに[[石鎚登山ロープウ]]の開通(1969年開業)の翌年に山上駅の上の現在地に奥前神寺が移転され現在に至る。
 
戦後は御室派から独立、真言宗石鈇派の総本山となった。
== 境内 ==
* [[山門]]
* [[本堂]]:[[1972年]]([[昭和]]47年)の再建。[[入母屋造]]で[[屋根]]は青い[[銅板]]葺き。
* 石鈇権現堂:石鈇蔵王大権現を祀る。
* [[大師堂]]
* 石鉄権現堂
* [[薬師堂]]
* [[護摩堂]]
* お滝不動:大師堂右の[[石段]]を登った場所にあり、滝打修行が行われていた。現在は水量も乏しく、[[一円硬貨|1円玉]]を投げて滝下の岩肌に張り付くとご利益があるといわれる。
* 金毘羅堂
* 修行大師像
* 十三仏像
* 穴薬師
* 水子地蔵菩薩像
* 稲荷社
* 弁財天祠
* 稲荷社
浄土橋
* 十三仏像(舟形石仏)
* 水子地蔵菩薩像(鋳造像)
* 修行大師像(レリーフ石像)
* 金毘羅堂(小堂)
* 穴薬師(側面に掘られた祠)
* [[大師堂]]:全身真っ黒い大師像。玉眼。不定期で拝顔できる。
* 鐘楼堂
* 庫裡・納経所
極楽橋
* 駐車場:30台、大型5台、無料。
* [[山門]](惣門)
惣門をくぐって参道を進み左に折れて薬師谷川をわたると右手に手水場、鐘楼が左手に庫裏・納経所がある。そして右に折れると左に大師堂、穴薬師が右には金毘羅堂、修行大師像、水子地蔵菩薩像が並び、浄土橋を渡ると右に水が滴り落ちるお滝不動明王像、弁財天祠、稲荷社祠がある。石段を上がるとすぐに護摩堂、薬師堂があって、最も奥に本堂が建つ。本堂右の丘に石鉄権現堂がある。参道の鬱蒼とした[[杉]]・[[檜]]の木立や古い[[灯籠]]が何基も立ち並ぶ[[境内]]には、老樹が生い茂り、[[深山幽谷]]の佇まいを見せている。
* [[宿坊]]:なし
* 駐車場:30台、大型5台、無料。
 
== 文化財 ==
== 奥の院 ==
; 奥前神寺
成就から今宮道の終点近くの今宮道に面した所に奥前神は移されていたが、1969年、石鎚山ロープウェイ開通により、その翌年に、現在の場所にお堂が建設される。その場所には現在、前神寺コテージが建っている。
* 所在地:愛媛県西条市小松町石鎚417 {{ウィキ座標|33|47|38.6|N|133|07|55.4|E|type:landmark_region:JP-38|地図|name=奥前神寺}}
* 本尊:[[蔵王権現|石鈇山蔵王大権現]]
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