「前神寺」の版間の差分
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== 概要 ==
[[File:Maeɡamizi ɨ0.jpg|220px|thumb|成就社]]
西日本最高峰石鎚山の7合目標高1400mにあり、発祥より千年法灯を守ってきた山岳寺院であったが、江戸時代以降の変遷により、麓の西田に本拠を移すも、数十年後の神仏分離令により廃寺の憂き目に遭い苦難の末再建し現在の隆盛に繋げている。本堂前での柴燈護摩は節分・お山開き開闢・閉闢の年三回あり、さらにお山開き開闢時には石鎚登山ロープウェイ下谷駅前でも催行され、不動護摩は、新年当初と毎月
== 歴史 ==
役の行者([[役小角]])が石鎚山の
後に石仙が[[桓武天皇]]([[782年]]〜[[805年]])の病気平癒を[[祈願]]し[[成就]]したことによって、当地 江戸時代初期には、札所としての便宜をはか
文政8年(1825)別当を名乗るようになっていた[[横峰寺]]と別当職の独占を争い幕府の裁定を受け、勝つことができたため、奥前神寺は常住社、里前神寺は前神寺と称するようになり本寺の機能も移されるようになった。
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: 午前9時ごろ下谷駅の後方広場で柴灯護摩を行い、ロープウェイで山上駅へ上がり奥前神寺に到着後、権現様の御開帳が行われ午前10時頃には本日の行事は終了。
: 7月1日から10日は、奥前神寺で朝夕5時より護摩が焚かれ参拝者を迎え入れる。この期間は志料で権現様の開帳を受けることができ、特別護摩も随時催行される。
: 7月11日午前6時に奥前神寺を出発した権現様と信者達はロープウェイで下山。一方、前神寺を午前6時にバスで山に向かった信者達と下谷駅で合流後、白衣に身をかためた[[信者]]や[[山伏]]たち一行が[[法螺貝]]の音に[[仏]]の名を称えながら3つの唐櫃(からびつ)に入れられた権現像を担ぎ黒瀬峠を越え前神寺へ列をなし約20kmを歩いて帰る。途中、御旅所で待ち構えた一般信徒は拝戴を受ける。帰寺後、待ち構えた信徒たちと昼頃本堂前で柴燈護摩が行われる。
== 交通案内 ==
; 鉄道
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