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== 来歴・人物 ==
母が元女優であったことから、6歳から[[子役]]として活動。映画『[[私は貝になりたい]]』(1959年)など多数の有名作品に出演。18歳で「'''桜一平'''」として演歌歌手でデビュー。その後は「'''若戸章'''('''わかど''' あきら)」「'''若人あきら'''」と数度の改名を行っている。この当時はナイトクラブ弾き語りをしたり、キャバレーのショー回りで生計を立てていた
 
「我修院達也知誕」によると逆鯖読みの理由は、16歳で高校中退後、一人で生計を立てる為ナイトクラブで弾き語りをしようとしたが未成年の為に断られ、亡き父のスーツを着て髪型を変え髭を生やしてみると22 - 23歳に老けて見えると言われたことで思いつき、「22歳です!」と6歳上ということにして銀座のナイトクラブで弾き語りを始めたからである。
 
テレビで若人あきら名義で[[郷ひろみ]]の歌真似を隠し芸としてやったのがうけて、『[[オレたちひょうきん族]]』(フジテレビ)、『[[笑ってる場合ですよ!]]』(フジテレビ)、『[[ひるのプレゼント]]』(NHK)などで一躍人気者となり、レギュラー番組も増えた。
 
郷ひろみの家族とも旧知の仲で、郷が高熱による急病でベストテン番組(フジテレビ『[[ビッグベストテン]]』1980年2月29日放送回)に出演できなかった時、郷の母親の推薦で突如急遽代役として歌ったことがあった
 
一時期テレビ東京の番組の中の一企画として内で、ものまね四天王に対抗して、[[原一平]]([[渥美清]]のものまねが得意)、[[鯉川のぼる]]([[鶴田浩二]]のものまねが得意)とともに「ものまね大魔王」をテレビ東京の番組の中で結成するしていた
 
[[1991年]]、[[熱海市]]の海岸で釣りの最中突然行方不明となり、3日後に[[小田原市]]にて記憶喪失状態で発見された([[我修院達也#失踪事件|後述]])。
 
「我修院達也知誕」によると逆鯖読みの理由は、16歳で高校中退後、一人で生計を立てる為ナイトクラブで弾き語りをしようとしたが未成年の為に断られ、亡き父のスーツを着て髪型を変え髭を生やしてみると22 - 23歳に老けて見えると言われたことで思いつき、「22歳です!」と6歳上ということにして銀座のナイトクラブで弾き語りを始めたからである。
 
事件の影響で若人あきら」の名前が嫌になった本人は、イメージを刷新すべく[[1993年]]に「'''我修院達也'''」へ4度目の改名をした(菩提寺の住職に依頼経文から引用して付けてもらう。ゆえにっており、作曲家[[ジョージ・ガーシュウィン]]をもじったのが由来ではない)。改名当初は仕事に恵まれず、[[通信カラオケ]]の編曲やキャバレー回りをしていた。
 
しかし[[1999年]]、子供の頃から我修院若人あきらのファンだったという映画監督の[[石井克人]]に起用され、『[[鮫肌男と桃尻女]]』に出演して起用され、役者として認知されるようになった。さらに、「アスパラドリンク」([[田辺製薬]])のテレビCM[http://www.youtube.com/watch?v=fK02Q36_gug]や[[SMAP]]「[[Fly (SMAPの曲)|Fly]]」のプロモーションビデオなど、石井の作品に多く出演。これが注目され、[[スタジオジブリ]]作品では声優として参加するなど、独自の地位を確立した
 
基本的には休みをとらず、テレビや映画撮影、営業ステージのない日も41人の弟子(プロ歌手)の歌唱指導やレコード会社の音楽プロデューサーをやりながら作曲編曲の仕事をしているためスタジオに籠ることも多い。
 
[[2007年]]12月にリリースされた郷ひろみのシングル曲「[[Good Times Bad Times]]」のプロモーションビデオに出演しており、同曲が使われているパチンコ新台「CR GO!GO!郷 2nd STAGE」([[ニューギン]])でも本人と共演している。2008年11月2日テレビ東京『[[田舎に泊まろう]]』に素顔と地声で出演。2011年10月「[[スマグラー]]」塚田マサコ(ジジイ)役で出演。その際、石井克人監督の注文により眉間を12年振りに剃り、髭を44年振りに伸ばした。
 
声色は低音・中音・高音と使い分けている。