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== 由来 ==
中国式の[[太陰太陽暦]]が導入される以前、[[望]]の日を月初としていたことの名残りと考えられている<ref>{{cite encyclopedia|encyclopedia=年中行事事典|page=305|date=1958-5-23|edition=初|editors=[[西角井正慶]]編|publisher=東京堂出版|oclc=29965492|isbn=4490100167}}</ref>。
[[六朝]]時代の歳時記である『[[荊楚歳時記]]』によれば、「正月十五日、豆糜を作り、油膏を其の上に加え、以て門戸を祠る。其の夕、紫姑を迎え、以て将来の蚕桑を卜い、并せて衆事を占う」とある<ref>[[守屋美津雄]]訳注『荊楚歳時記』正月の条。([[東洋文庫 (平凡社)|東洋文庫]]324、平凡社、1978年</ref>。
 
== 風習 ==