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|家紋= <!-- 家紋の画像 -->
|家紋名称=
|本姓= [[科野国造]]子孫[[金刺氏]]流?{{
|家祖=
|種別= [[武家]]
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通説では[[大胡氏]]の一族とされるが、系譜上の関係は不明。
上泉氏の系譜{{
また、出自は[[一色氏]]と自称するが、遠祖一色義直は[[一色義直|丹後一色家当主]]とは経歴が異なり、義秀父の義春(義直三男)も同様に丹後一色家の人物と別人で、上泉氏と一色氏の系譜関係ははっきりしない。
==歴史==
代々剣術に秀でており、初代義秀は剣術[[中条流]]など、時秀は[[鹿島流]]、義綱は[[鹿島神道流]]を修めており、上泉信綱は[[新陰流]]を開いたと伝える。[[上泉秀胤|秀胤]]は[[後北条氏]]に仕えたが、[[上泉泰綱|泰綱]]の代に[[越後]]の[[上杉氏]]に仕官して[[米沢藩]]士となった。また信綱三男の行綱の家系が名古屋上泉氏となった。{{Sfn|諸田
同時代史料上にみられるのは、長野氏の軍制を記した『上野国群馬郡箕輪城主長野信濃守在原業政家臣録(永禄元戊午年正月廿九日改軍評定到着帳)』{{Sfn|箕輪町誌編纂刊行委員会
また、[[永禄]]4年([[1560年]])の『関東幕注文』{{Efn|『関東幕注文』には[[上杉謙信|長尾景虎]]に従った上野の武士が記載されている。}}では白井衆の一員として上泉大炊助{{Efn|『上泉家伝来の系譜』{{Sfn|前橋市編さん委員会
== 上泉氏の一族 ==
*上泉義秀 - 一色氏の出身で上泉氏初代。[[応仁]]元年([[1467年]])、[[応仁の乱]]の東軍に参加し討死。
*上泉秀継 - 信綱の父。信濃守。名前は諸説あって一定しない。通説では秀継(綿谷雪『武芸流派大事典』など)。上泉氏伝承では義綱、『[[撃剣叢談]]』では憲綱。
*上泉秀秋 - 孫次郎または孫四郎。一時的に石森姓を名乗る。名古屋藩に仕えた。次男義郷は岡山藩に出仕{{Sfn|諸田
*上泉重之 - 大胡重清の弟。大炊介。上泉を称したという。上泉信綱の先祖とする説がある。ただし上泉信綱一族の伝承には存在しない。
*上泉憲元 - 主水。信綱の弟で、上杉景勝に仕え3000石を有したが、慶長5年に戦死した(富永堅吾『剣道五百年史』)。ただし子孫の上泉家はこの経歴の人物を信綱弟ではなく、孫の[[上泉泰綱]]とする。
== 系譜 ==
*系譜は諸田政治『上毛剣術史』に拠る{{Sfn|諸田
一色義直
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==脚注==
===注釈===▼
{{脚注ヘルプ}}
▲===注釈===
{{Notelist}}
===出典===
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== 参考文献 ==
{{脚注の不足|date=2017年4月|section=1}}
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* {{Cite Book|和書|author=前橋市編さん委員会編|volume=第2巻|date=1973|title=前橋市史|publisher=[[前橋市]]|id={{全国書誌番号|73017374}}|
* {{Cite Book|和書|author=箕輪町誌編纂刊行委員会編|volume=|date=1976|title=箕輪町誌|publisher=箕輪町誌編纂刊行委員会
*綿谷雪、山田忠史編『増補大改訂版 武芸流派大事典』東京コピイ出版部、1978年
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