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{{複数の問題|出典の明記|date=2018年6月|wikify=2019-01}}
'''馬寮'''(めりょう/うまのつかさ)は、[[律令制]]における[[官司]]の一つ。[[唐名]]では'''[[典厩]]'''(てんきゅう)。'''左馬寮'''(さめりょう/さまりょう)と'''右馬寮'''(うめりょう/うまりょう)に分かれていた。
 
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室町時代において左馬頭は、[[足利直義]]が左馬頭になったのを嘉例とし、将軍の後見職(副将軍的な存在)あるいは'''次期将軍'''が就任する[[官職]]と見なされた。左馬頭となりながら将軍になれなかった例として、[[足利義嗣]]や[[足利義視]]、[[足利義維]]がいる。また、[[足利義輝]]が殺害された[[永禄の変]]後、朝廷は後継者として名乗りを上げた弟の[[足利義昭]](後の15代将軍)と従兄弟の[[足利義栄]](後の14代将軍)をともに左馬頭に任じ、事態の推移を見守ったこともあった。
 
[[細川氏#典厩家|細川典厩家]]が代々右馬頭・右馬助に叙任されたほか、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[毛利元就]]や[[毛利輝元]]も右馬頭に叙任されている。
 
'''右馬頭の辞令(口宣案)の例''' 「毛利家文書」<br />