「井伏鱒二」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
77行目:
[[1944年]] 7月には甲府市甲運村(甲府市和戸町)の岩月家に[[疎開]]する。岩月家は双英書房の創業者である岩月英男の実家で、岩月は井伏門下で、太宰治の著作などを刊行している。井伏は翌年1945年7月6日-7日の[[甲府空襲]]では被災している<ref>なお、太宰治は昭和14年9月に東京三鷹に転居していたが、戦時中には甲府の石原家に疎開しており、甲府空襲で被災している。</ref>。井伏はその後、広島県福山の生家に再疎開しているが、戦後も山梨県訪問は頻繁に行っており、俳人の[[飯田龍太]]らと交流した。
 
戦後一時期、[[新日本文学会]]に加入していたが、ほどなく退会した<ref>[[蔵原惟人]]「新日本文学会第七回大会を終わって」『蔵原惟人評論集』第5巻p87。初出は『新日本文学』1955年3月号</ref>
 
[[1965年]] 『[[新潮]]』誌に、「[[黒い雨 (小説)|黒い雨]]」(連載当初は「姪の結婚」)を連載。この作品で[[1966年]](昭和41年)、[[野間文芸賞]]を受賞。同年に[[文化勲章]]受章。