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'''スタジアム・ガル'''('''Stadium Gal''')は、[[スペイン]]の[[バスク州]][[ギプスコア県]][[イルン]]にある[[サッカー専用スタジアム]]。地元のサッカークラブ、[[レアル・ウニオン|レアル・ウニオン・クルブ]]のホームスタジアムである。[[1902年]]、[[1915年]]にゲームに使用されていたと記述があるが、レアル・ウニオン
= <small>歴史</small> =
[[ファイル:Escenas de la inauguración del Estadio Gal en la localidad de Irun (5 de 14) - Fondo Car-Kutxa Fototeka.jpg|サムネイル| left|1926年の開場時の様子。レアル・ウニオンの黄金期だった。]]
1926年9月26日の開場時には、レアル・ウニオンと[[FCバルセロナ]]の試合が行われた。この開場は建築会社「[[ペルフミア・ガル]]」を経営する地元の資産家[[サルバドール・エチェンディア・ガル]]氏によるピッチの寄贈のお陰である。[[コパ・デル・レイ]]を2回制覇したクラブの黄金期に建てられた。1918
当時のガルは[[アスレティック・ビルバオ]](本拠地[[サン・マメス (1913年)|サン・マメス]]のこけら落としの相手がレアル・ウニオンであった)、[[セルタ・デ・ビーゴ]](本拠地[[エスタディオ・ムニシパル・デ・バライードス|バライドス]]のこけら落としの相手がレアル・ウニオンであった)、[[スポルティング・デ・ヒホン]]、[[レアル・マドリード]]、FCバルセロナ、[[レアル・ソシエダ]]、[[RCDエスパニョール]]、[[ラシン・サンタンデール]]、[[アトレティコ・マドリード]]
[[1950年]]にはピッチの周囲にレース用[[トラック]]が作られた事があり、[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]第6ステージの[[ビルバオ]]-イルン間のゴール地点に使われれ、ジャン・ボベ、コッピ、[[フェデリコ・バーモンテス]]、[[ミゲル・ポブレット]]などの同時代の最高の[[自転車競技選手|サイクリスト]]達も、このトラックを走った<ref>{{Cite web|url=https://www.realunionclub.com/stadium-gal|title=Real Unión Club {{!}} Stadium Gal|accessdate=2019-01-07|website=realunionclub|language=es}}</ref>。
1997-98シーズンにスタジアム・ガルのスタンドは一時解体され、ビダソア川のほとりの旧スタジアムと全く同じ場所に建てられた。
このスタジアムでレアル・ウニオンは
収容人数5,000人のうち3,000人分が座席化されたゾーンで、うち1,700人はメインスタンド(Tribuna Principal)
= <small>脚注</small> =
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